大江健三郎、万延元年のフットボール

「万延元年のフットボール」は「個人的な体験」(1964年)に続く、大江健三郎(1935 -)三十代最初の長編小説である。第三回谷崎潤一郎賞を獲得した本書は、「個人的な体験」とともにノーベル賞対象作にもなった。各国語に翻訳されており、英訳の題名は、「The Silent Cry」と言う。

「万延(まんえん)元年」(1860年)は幕末特有の波乱の年で、安政7年として始り、3月18日に万延と改元された。1月の咸臨丸のアメリカへの出港、3月の桜田門外の変、12月の米国書記官ヒュースケンの暗殺が、よく知られるその年の主な出来事である。

万延元年から約百年が経過した地点に立つ大江は、本書の執筆を通じて彼が生きる今の視点から歴史を振り返り、近代から今、そして未来へと受け継がれる日本の精神の意味を模索、再考しようと試みる。物語には「今」の表象としての戦後民主主義的な思想が、著者の視点を通して色濃く反映されている。主役は兄弟で、彼等はそれぞれの自己を見つめ自らの本質部分に対峙しようと試みるのだが、彼等の姿を国家の姿として読み取ることが可能である。

本書が執筆されたのは、安保闘争をはじめとする社会運動が、大きくクローズアップされていた時代である。だが大江はそうした一過的なイベントへの固執を避け、普遍的な視点に基づき、日本の近代から現代へと至る精神運動の軌跡を、虚構の中に描き出す。彼は本書において、明治維新を戦後と切り離すことなく連続した流れとして重層的にとらえると同時に、発想の拠点を根源的な民衆の「声なき声」に置くことで、時代の流れに対する心理的反応を書き記そうとした(初版に付された文芸時評に掲載されたインタビューによる)。物語の基底に宿るそのような彼の歴史観と工夫が、本書を単なる政治小説への堕化から救い出している。

本書は豊穣で、読みの懐の広い作品だと評価されている。それは「個人的な体験」以来、諸々の作品で反復される大江独自の傷痕のモチーフとともに、当時の構造主義的な言語観にも支えられているようだ。評論家の井口時男によると、主役の兄弟の将来は言葉に対する思考と、そこにある不在の克服方法の違いによって決定されているという。井口は本書を、両者の会話に滲み出る内面の「思い」に注目しながら解読する。

思いは内面という言語以前の強力な隠れた意味存在に結び付けられているものの、その思いを表現するためには、言葉という一般的かつ抽象的な概念として、それを口述せざるをえない。思いを現前化する行為においては、言語によるろ過、言語の汎用性による意味の非在化によって生じる真実の排除を免れることができないので、思いの所有は曖昧なものとなり、その真実の姿はますます遠ざかる。思いの伝達とはまさに非在の意味の語りとして、その具体性を欠くもどかしさを伴うが、そのもどかしさが言語以前の実存としての感覚の存在を同時に裏打ちする。そこに思いの二重性が浮き彫りになる。

思いには、伝達としての使命を全うするための言語への依存と、それによる真実または自由の放棄とが、折り重なっている。井口は大江によるこの思いの二つの側面への時系列の付与と寓意化をひとつの時代、つまり真実としての内面にまだ信憑性が与えられていた時代の終わりのメタファーだと解釈する。鷹と蜜というこの物語を引き受ける兄弟において、思いの真実を守り抜こうとする前者の弟とは裏腹に、物語の語り手でもある兄の後者は内面の分裂を引き受けつつ、その真実を言語という規範に委ねることを決意する。

「万延元年のフットボール」は当初「群像」に掲載され、全面的な改訂が加えられた後、昭和42年(1967年)に講談社から単行本として出版された。粟津潔の装幀によるそれは、現在でも古本や図書館の蔵書として流通しており、文芸文庫版と同様によく読まれているようだ。単行本には目次が欠けているので、以下に本文から拾い上げたものを列挙する。

  1. 死者にみちびかれて(p.3)
  2. 一族再会(p.35)
  3. 森の力(p.63)
  4. 見たり見えたりする一切有は夢の夢にすぎませぬか(ポー、日夏耿之介訳)(p.92)
  5. スーパー・マーケットの天皇(p.119)
  6. 百年後のフットボール(p.149)
  7. 念仏踊りの復興(p.173)
  8. 本当のことを云おうか(谷川俊太郎「鳥羽」)(p.203)
  9. 追放された者の自由(p.230)
  10. 想像力の暴動(p.262)
  11. 蝿の力。蝿は我々の魂の活動を妨げ、我々の体を食ひ、かくして戦ひに打ち勝つ。(パスカル、由木康訳)(p.289)
  12. 絶望のうちにあって死ぬ。諸君はいまでも、この言葉の意味を理解することができるであろうか。それは決してたんに死ぬことではない。それは生まれ出たことを後悔しつつ恥辱と憎悪と恐怖のうちに死ぬことである、というべきではなかろうか。(J=P・サルトル、松浪信三郎訳)(p.320)
  13. 再審(p.354)

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