古井由吉、栖

「栖(すみか)」は、昭和51年(1976年)発表の「聖(ひじり)」に続く古井由吉(1937 -)の長編小説で、出版翌年の昭和55年(1980年)、本書は第12回日本文学大賞を受賞した。物語は「聖」の続編として、私こと岩崎とそのパートナーである佐枝の男女二人に委ねられるが、「聖」では一人称であった「私」は、岩崎として三人称で語りなおされ、舞台も佐枝の故郷の村落にある地蔵堂から、都会の片隅にあるアパートへと移動する。「聖」で出会い、「栖」で結ばれ、家庭を築いた彼らだが、そこには尋常ではない葛藤が待ち受けている。

「栖」には「聖」に描かれた場面が追想として登場するが、両者の内容の大きな隔たりが「栖」を個別の物語として成立させる。だがもうひとつ、本書を前作から切り離す大きな役割を演じているのが、物語全体を覆う文体だ。いわゆる普通の散文で書かれた「聖」とは異なり、ここではそれが物語の一部として機能する。古井の物語では対象や時制に期待される観念への裏切りがその意を表すことが少なくないが、「栖」でその役割を担うのが文体で、それが読者の記憶を混濁し、読む者が信じる自らの立ち位置と方向性を喪失させる。喪失は不安をあおり不快感を生み出すが、それが物語の核をなす狂気の意味を読者の心に予見させ、納得させる。

古井はこの「栖」を通じて、世帯の始まりとその平凡さの内側に潜む妖しさを描こうとしたのだと述べている。その妖しさを露出させる契機となるのが、生の始まりを象徴する赤子であり、その点において、本書は神話と死を男女の結びとして強調する「聖」と好対照をなす。古井はこの「栖」において、1971年の芥川賞受賞作、「杳子」以来の狂気を通して世帯の意味を俯瞰するが、「杳子」にはまだない独自の文体が、狂気の存在をより立体的に強調する。現実の狂気は暗澹としたものだが、物語ではそれが子供を育む世帯を見守る場としての「栖」の真理を浮き彫りにする。

古井由吉栖(すみか)聖(ひじり)杳子(ようこ)

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