プルースト、記憶と時制

記憶と現在

プルースト(Marcel Proust、1871 - 1922)の作品は、記憶の直感的な誘引とそれに続く無意識的な連想の過程によって記される。過去の断片として、至福に満ちたその記憶の想起が生み出す感覚は、過去において感じたそれと同じものである。

過去の瞬間が現在の瞬間へと混濁するその時、時制とともに、それを意識する自我も緩慢な状態へと変化する。過去と現在とにまたがり、時間の外部へと踏み出す超時間的な状況のなか、緩慢となった自我を超え、人間の内的存在が浮かび上がる。死への不安をも超越するその存在は、過去と現在とが同一になった状況において、はじめて立ち現れる存在である。

超時間的な状況とは事物の本質を理解できる唯一の状況であり、内的存在はその本質を糧に出現する。想像力が作動せず事物の本質がそこに付与されない「現在」だけでは、本質とともに、内的存在の捕捉は不可能で、過去と現在とが統合してはじめて、本質の姿が浮かび上がり、普段は現実から切り離された内的存在が立ち現われる。このように普段は把握不可能な本質の獲得と内的存在の出現を可能にする時間を、プルーストは「つかの間の純粋状態にある時間」と呼ぶ。それはものごとの本質を養ない、本質のなかにのみその糧が見出される、無上の至福を伴う時間である。

美も同様に、そのような過去と現在とのまたがりを通じて体験される。人間が想像する対象は不在なものに限定されるので、現実の知覚を基にした想像力を通じて美を味わうことは不可能である。だが、ある感覚がかつてそれを感じた過去とともに現在のなかに蘇えるとき、美の体験が可能になる。過去と現在とのまたがりは、両者を超えた本質的なものとしての存在の観念(内的存在)を出現させる。過去であるがゆえに味わうことができた感覚と、現在であるがゆえに感じられる感覚とが合体することで、過去にも現在にもない観念の存在が「想像力の夢」のなかに実現される。

過去と未来

別の場所でプルーストは、「つかの間の純粋状態にある時間」を、過去と現在に加え、未来を巻き込んでの協働によって成立する時間であると語っている。知性は現在の観察や感覚だけで生を得ることはできず、また過去の考察だけで観念や本質を成立させることも不可能である。そこで未来が必要になると彼は言う。意思が過去の断片と現在とを組み合わせ未来を構築しようとする際、意思は実用的かつ人間的な目的に迎合する断片のみを選択し、未来を完成させようとする。そこで出来上がるのは存在すべき現実性が欠落した未来であり、それだけでは本質の実現には過不足なので、過去と未来における同様の感覚の共有と、その協働の必要性が示される。

そのような感覚の共有と協働によって、観念的かつ抽象的で、現実でも非現実でもない、普段は隠れて見えない普遍的な本質が立ち上がる。それは「死んでいるようだったが、完全には死んでいなかった」真の自我の復活、あるいは、時間の外部に身を置き死をも恐れぬ、「時間の秩序から開放された人間」という内的存在の再現であると表現される。

感覚と芸術

プルーストは回想に伴う感覚を、ある相応な法則あるいは観念の兆候だと捉えている。彼にとっての芸術創作とは、その感覚を精神的な等価物に変換する作業のことを指す。

回想に伴う感覚は、「無意志的記憶」に内包される、「さまざまな形象で描かれた真実」によって演出される感覚である。それは選択の余地がない、そのままのかたちで与えられ、「意志的な記憶や観察」では発見し難い、「間違いのないバランスの光と影を、起伏の有無を、記憶の忘却を伴った印象」を内包する、偶然性に支配された感覚である。そして、その偶然性が、蘇る過去とともに立ち上がるイメージの真実を支配する。それは「同時に起こる印象で描かれた光景そのものの真実」として、見るものに光に向かう時の浮揚感のような喜びを感じさせる。

このような偶然に伴われる感覚によって、プルーストは至福に満たされるのだが、それを彼に知らしめたのは、写実主義が示す誤りだった。写実主義は人間に「生活のなかで感じるものに、ひどくかけ離れた表現を与え、しかもその表現をそのまま現実そのものと取り違える習慣」を身に付けさせる。真に表現すべき現実は、「主題の見かけではなく、見かけなど問題ではないほどの、深遠さ」のなかにあり、それを現出し、人間の精神を惹起させるのが、「人道主義や愛国主義や国際主義や形而上学的な会話より、ずっと貴重な」、些細な音や触感である。芸術を理屈で理解し、内的な現実に追随できない写実主義には、芸術的感覚の欠如が指摘される。

過去の記憶を通じて知覚される対象は、当時の関心や感覚と同様の性質を帯びて、「何か非物質なもの」へと変貌し、現在の感覚と混濁する。一方、現在に生きる読み手の自我の過去や未来との交錯を拒否する写実主義は、事物が保持する過去の本質の、作品が記す未来における開示を妨げる。記憶は対象が再創造される際の印象を探り、その真理を解明し、それを「知性への等価物」として再現する。芸術の過程とは、そのような「印象の再創造」のことであり、それにしたがって芸術は本質を描き出す。写実主義はそのあり方を通じて、「本質には主観的で伝達不可能な部分がある」ということを物語る。

参考文献
失われた時を求めて:マルセル・プルースト、芳川泰久(訳)、新潮社、2015
Top