ジョゼフ・コスース、最後の絵画

抽象表現主義を学ぶ際に避けて通れない資料のひとつが、クレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg、1909 - 1994)が残した一連の論文であろう。論理の限界を立証するための論理だとして、彼はカント(Immanuel Kant、1724 - 1804)を参照し、それを下地に、内側から批判される諸手順そのものを通してそれ自体を批判する自己充足的で純粋な芸術形式だとして、抽象表現主義を評価した。彼はその動きを、アメリカ独自のモダニズム芸術の終着点だと断言し、確固たる地位を与えていった。

抽象表現主義は、1950年代に入り、アメリカを代表する前衛美術として、内外ともに認められるまでに成長した。とはいえ、モダンアートはとどまることなく批判され、更新されることで、その成長が約束される芸術形式である。そこで、抽象表現主義にも批判の目が注がれることになるだが、それに確固たる地位を与えるグリーンバーグ等の批評家は、歴史的必然性を無視し、彼等の趣味判断が認める美術に対抗する作品を一方的に排斥した。その行いは美術館内部から出版社や画廊にまで及び、彼等の意にそぐわない作品は、ことごとく一般の目から遠ざけられた。

抽象表現主義は作品の純粋性に依存する、自己批判的な芸術形式である。そこで次世代の芸術家はその定義を逆手に取り、グリーンバーグの言う「内部から批判されているその諸手順そのものを通しての批判」を改めて実践することで、その基盤を揺るがそうと試みた。ロバート・ラウシェンバーグ(Robert Rauschenberg、1925 - 2008)等の絵画、ポップアート、ハプニング、ミニマリズム等、種々の方策が試みられたが、概念芸術(コンセプチュアルアート)に至り、ついにその動きがピークを迎えることになる。

作品を非物質化することで対象を還元するのが、概念芸術の基本戦略である。そのプロセスとして様々な方法を示す美術家が出現したが、ジョゼフ・コスース(Joseph Kosuth、1945 -)もそのひとりで、彼は美術の語法の転換、概念と作品の同一化に興味を示す。

コスースが作品を発表しはじめた1960年代半ば、前衛的な美術家は、新たな素材の導入とその物質的特質を武器に、諸々の作品に取り組んでいた。物質性を強調し、時間と空間とを混濁させ、両者の境界を揺さぶることで、作品の純粋性を疑問に付すというのが、それらの主だった主張である。だがそれら一連の動きには、より根本的な問題に対する問い掛けが欠けている。その欠落は一連の試みを、抽象絵画の概念へと回帰させ、その単なる延命処置として終わらせてしまうことにもなりかねない。

コスースは、批評家のヘゲモニーと化した抽象表現主義への対抗手段として、それを越える権威的な言語としての哲学、また後には人類学をも援用し、その解体を図ると同時に、芸術の意味それ自体の転換を図ろうと試みた。彼の芸術概念は、初期のウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889 - 1951)、A・J・エイヤー(A.J.Ayer、Alfred Jules "Freddie" Ayer、1910 - 1989)、ヴィーコ(Giambattista Vico、1668 - 1744)に加えて、マルクス(Karl Marx、1818 - 1883)系の人類学から得た知識を下地にしたものだ。形式主義から有用なものを取り出すことで、モダニズムの内在的批判を行なうと同時に、新たな社会分析へと向かう。それが彼の一貫した戦略である。

コスースは、対象を還元して作品へと昇華してゆくプロセスの中に意味の生産性を付与することで、作品を再観念化する。その一例としてまず示されるのが、1965年に発表された、「One and Three Chairs(一つと三つの椅子)」と呼ばれる、証書としてのみ存在する作品である。現物の非存在、物質性の不在は、受け手から消費者としてのステータスを奪い去る。受け手はそこで脱政治化され、逆に作品には政治的意味が付与される。芸術の脱商品化と、美学の政治化は、コスースに限らず多くの概念芸術家が指向しているテーマだが、彼の作品の方法は、とりわけ強く絵画の終焉を予見する。彼の作品は、抑圧的な価値観と固定的な階差を武器に、歴史の中に君臨してきた絵画に贈る最後通告、あるいは最後の絵画だと言えるものである。

参考文献
Art After Philosophy and After: Collected Writings 1966 - 1990: Joseph Kosuth, MIT Press, 1991
Modern Art and Modernism, Francis Frascina and Charles Harrison (Ed. ), Open University, 1992

Clement GreenbergカントウィトゲンシュタインA・J・エイヤーヴィーコマルクスArt After Philosophy and After: Collected Writings 1966 - 1990

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