抽象表現主義、ジャクソン・ポロック

アメリカの抽象美術は、1936年に組織されたAAA(American Abstract Artists Association)をその起源とする。AAAは当時一般的だった地方主義(アメリカンシーン)や社会主義リアリズムに対抗するために設立された組織で、アメリカ独自の美術の確立を目標とし、設立の翌年には39人の画家を擁するまでに成長した。だが会員が描く作品は、キュビズムや幾何学的なヨーロッパの抽象をモデルとしたものが多く、結局満足できる作風の確立には至らなかった。

抽象への期待が高まり続ける中、1939年にグッゲンハイム美術館の前身である「Museum of Non-Objective Painting」がオープンする。1940年代になるとアンドレ・マッソン(André Masson、1896 - 1987)やジョアン・ミロ(Joan Miró、1893 - 1983)等の作品に影響された次世代の画家達が注目されはじめるが、それが後にニューヨークスクールと呼ばれるアメリカ独自の抽象表現主義絵画を確立する一団へと成長してゆくことになる。

彼らに影響を与えたマッソンやミロは、シュールレアリズム的なオートマティズムによる制作法を取り入れ、現実的で幾何学的な抽象から、自発的で有機的な抽象へと進んでいった画家である。抽象表現主義では潜在意識の開放を説くシュールレアリズムに加え、その仕組みを解明する精神分析にも感心が示されたが、それは同時代のヨーロッパの抽象芸術が拠り所にしていた実存主義の影響を断ち切る手段としても有効に働いた。

抽象表現主義はやがて新たなアメリカ美術の代名詞として、その地位を確立してゆくのだが、その中核としてとりわけ露出度の高い画家のひとりが、ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912 - 1956)である。彼はニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグで学んだ後、象徴的なテーマに基づく野性的な画風の風景画や人物画を好んで描いてきたが、後に抽象へと転向し、独自のダイレクトで即興性の高いドリッピングによる巨大なオールオーバーペインティングで、第二次大戦後のアメリカを代表する画家としての名声を確立した。

ポロックはトマス・ハート・ベントン(Thomas Hart Benton、1889 - 1975)やマッソンをはじめ、キュビズムやカンディンスキー(Wassily Kandinsky、1866 - 1944)等の抽象初期の作品から、オロズコ(José Clemente Orozco、1883 - 1949)、リベラ(Diego Rivera、1886 - 1957)、シケイロス(David Alfaro Siqueiros、1896 - 1974)によるメキシコの壁画に至るまで、多岐に渡る作品の影響を受けた画家である。ポロックの抽象作品のスケールの大きさや、時々現れるトーテム的主題からは、とりわけ後者からの影響が伺えるが、彼はラテンアメリカ美術一般に見られる外面的な政治、社会的主題を退け、私的な内的感情の内側に、社会との関わりを描写した。

ポロックはシュールレアリズムに触発され無意識にも興味を示したが、精神分析への接近が彼にベントン的リアリズムや自然由来の表象表現からの脱皮を促し、抽象への道を選択させることになった。ポロックはアーシル・ゴーキー(Arshile Gorky、1904 - 1948)、マーク・ロスコ(Mark Rothko、1903 - 1970)、ウィレム・デ・クーニン(Willem de Kooning、1904 - 1997)等と同様、発展の初期段階において、ユング(Carl Gustav Jung、1875 - 1961)の深層心理学と接点を持つジョン・グレアム(またはグラハム、John D. Graham、1886 - 1961)の芸術論の影響を受けている。グレアムは芸術の役割を、原始的な民族が過去に行なっていたような、深層心理との交信の復元であるとして、神話の作品への転用を推奨した芸術家、理論家である。実際にポロックの作品からは、西欧的な心理描写をベースにした表現主義的色合いと同時に、アメリカ原住民の神話や芸術の片鱗が随所に読み取れる。

1940年代後半以降、ポロックは抽象への傾斜を高めて行く。彼は1945年に郊外へと移住するが、それ以降、画面から神話的な象徴表現が消え、自然に直接働きかけるような描写へと変化した。隠喩の消滅は、制作手法の劇的な変化を促し続け、ポロックは1947年以降、1950年頃までにはついにイーゼルを離れ、彼の代名詞にもなったドリッピングによるオールオーバーペインティングへと移行した。その制作には一層の精神的、肉体的な画面への没入、即興によるより強力な自発性が要求され、画家はキャンヴァスの上に立ち、無心に肉体運動を繰り返すジェスチュアを通じて、精神世界の奥に潜む内的パワーを捻出する。それはアクシデントや、シュールレアリズム的偶然とは無縁の行いで、絵画を描く行為そのものが、作品の主題へと変化する。

批評家ハロルド・ローゼンバーグ(Harold Rosenberg、1906 - 1978)は、ポロックのような即興性が高い制作手法を、実存主義的な意味において、常に選択にさらされる個人的表現の象徴として捉え、それを過去の伝統からの回避行動と結び付けて論じている。ポロックは、思考の冷静な分析と直感的な感情を並列させる西欧的な実存主義的抽象表現と、画家の内部に潜む原初的かつ極限的精神状態を画面に直接投射する祭儀的にも見えるジェスチュアとを融合する。彼のピークにおける作品では、画家の肉体が平面と極限にまで密着する。

ポロックの抽象絵画は、抽象表現主義の中でも、とりわけ直感的なジェスチュアに多くを依存し、テクスチュアを重要視する作品の部類に属するが、その対極にあるのが、先に触れたロスコやバーネット・ニューマン(Barnett Newman、1905 - 1970)の作品である。ポロックの絵画表面とは対照的に、表現やジェスチャーの痕跡を抑えた色面に、ユダヤ系独特の経験と感性を下地にしたコンテクストが展開する。

ロスコはが目指したのは、シェイクスピア(William Shakespeare、1564 - 1616)の悲劇のような、普遍的な芸術の創造である。そこで彼は、作品に聖書的な天啓や黙示としての役割を持たせることで、鑑賞者との間に精神的かつ霊的な交流を確立しようと試みた。彼はその目的を達成するために、全体的な色彩表現による色彩の意義と網膜効果を追求し、そこに神話的連想、恐れ、恐怖といった原初的な心理状態を描き出す。

悲劇的な主題を恐怖に連関させ、無時間的な抽象表現の中に主題を表現しようとするロスコの姿勢には、未開美術からの影響が示唆される。彼にそのような抽象表現をもたらしたのは、多くの抽象絵画が拠り所にしてきたプラトン的イデアとは異なり、大戦とホロコーストが彼に与えた印象である。彼は画面から対象が消え去る抽象表現の中に、戦争による人間同士のコミュニケーションの形骸化や不適格性を、描き出そうと試みた。

一方ニューマンは、悲劇的な絶対的感情表現の達成を目標に、作品におけるサブライムを主張した。そこで彼が描くのは、手塗りの巨大な色面に、それを分割する垂直な線が描かれるという、単純な抽象作品で、それを彼は、闇に覆われ、かたちも失った空虚な大地に、神の厳命により光が走るという、旧約聖書で告げられる世界創生第一段階の姿になぞらえた。彼の描く原初的な状態の世界には、大戦からの再生と新しい芸術の創生という、二重の意味が込められている。

参考文献
Abstract Expressionism: David Anfam, Thames and Hudson, 1990
Modern Art and Modernism, Francis Frascina and Charles Harrison (Ed.), Open University, 1992

ユングシェイクスピアHarold Rosenberg

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