ジュリア・クリステヴァ、インタビュー

以下はジュリア・クリステヴァ(Julia Kristeva、1941 -)のインタビュー(仏語に英語のサブタイトル)から、その一部を筆者が翻訳したものを、投稿用に抄訳、一部加筆し再編集したものである。インタビューでクリステヴァは言語学の問題点を指摘しながら、詩的言語の内部に潜むデュナーミク(ダイナミック)の秘密を簡潔に論じている。

まだ精神分析へと向かう前、初めて詩的言語に興味が沸いたとき、私はそれが子供の反響言語にも似た特定の問題に占拠されていることに気がついた。詩的言語はリズムや調べ(音楽)に占拠されている。実際に詩的言語は音楽的であり、それによって意味が独占されることもあり得るのだということはよく知られた事実である。マラルメ(Stéphane Mallarmé、1842 - 1898)を例に取ると、その調べを理解することができても意味を解せないことがよくあるのだが、そうした調べによる詩的言語の支配が、そこに含まれる前言語や子供の反復言語のような調べの復権を、私に想起させることになった。

フロイト的解釈では、幼児の言語から二つの意味を取り出すことができるのだが、そのひとつは前エディプス的と呼ばれる段階を示すものである。それはエゴの最も外側における不安定さに加えて、抑うつと精神的な病の可能性を示す段階で、ナルシシズムに関するすべての問題を包含する重要な時期だと言えるだろう。それは幼児が母親に依存し、その依存の痕跡を記憶に留める時期でもある。もし詩的言語の中に前言語的な音楽性が見つけられるとするならば、それは、そこにわれわれの断片化されたナルシシズムと母と子の関係との証が内包されているからに違いない。それは詩人の女性的な母性的素性、あるいは、それは必ずしも必要ではないが、ホモセクシュアリティーにも関連する事柄で、彼らの主張によっても明確に知られている。

ジェイムズ・ジョイス(James Augustine Aloysius Joyce、1882 - 1941)を例に取ると、それはMollyの独白における彼の女性的なイメージへの深い傾倒にあらわれているし、またフィネガンズ・ウェイク(Finnegans Wake)にも、それは読み取れるだろう。それらは私がいうところの、かばん語(portmanteau words)のかたちを取り、言語の声歌のような、あるいは幼児言葉のような様相を示している。そのようにして現代の文学は自身を前エディプス期と母性とに依存させながら、言語の原初的な段階の探求へと身を投じるのである。

現代の言語理論に誤りがあるとは思わない。だが、それらは自身のゴールと対象を詳細に叙述しようとする認識論的伝統に従属しながら、その枠組みの内で多くの成果を得ようとしているのだ。私の考えでは、そうした言語理論は社会的にも精神分析的にも重要だと思われる主観的症状のダイナミックには触れていない。現代の言語学の背後にある認識主義的伝統は、チョムスキー(Avram Noam Chomsky、1928-)によって、デカルト(René Descartes、1596-1650)の「ゆえに我あり」のように説明されている。また、Searle's Speech Actsやオースチン(John Langshaw Austin、1911 - 1960)、そしてフランスの論述理論のような言説の理論は、デカルト的言語学から発展したものであると言い進めることもできるだろう。それらはフッサール(Edmund Gustav Albrecht Husserl、1859 - 1938)その他の現象学における超越論的エゴに近いものである。チョムスキーにせよSpeech Actsにせよ、こうした言語理論は主体と客体との分離と同時に、会話における意識の孤独を予見させる。正確にそうした孤独と分離こそが、病的ともいえる状況下における争いや、革命、革新、あるいは新しい世の中が創設される時のように、社会的規範が流動的な状況にある場合を示す状態なのである。そこで私は意味が必ずしも与えられないような、ダイナミックな状況に適する用語(モデル)を提唱した。それが、私が「ance」というサフィックスを伴いシニフィアンと呼ぶ、かつてダイナミックな過程を強調するために中世の言語学で使われていた用語である。

私はダイナミックをよりよく理解するために、シニフィアンの二つの様相を分離することにした。そのひとつはセミオティックだが、これは反響言語または記号や文法以前の幼児の発話を説明するだろう。そしてもうひとつは、記号と文法、あるいは私がシンボリックと呼ぶものであり、この二つによる明確な表現が言語のダイナミックを作り出すのである。

ダイナミックは、例えばジョイスの場合のように、詩的言語のいくつかのケースにおいて、たいへん明白に認められる。だがそれだけではなく、バルザック(Honoré de Balzac、1799 - 1850)のような古典的な作家の中にも存在する。彼は読者に文章のリズムを聴き取るよう求めているのである。そのリズムはたとえ文章の前面に押し出されていなくても、読者には聴き取ることができるだろう。ダイナミックはバルザックの主要な目的ではないが、確かに存在するのである。また、付け加えるならば、ダイナミックは潜在的にではあるけれども、情動と動機が斬新的に抑制されている、教示的、科学的または政治的な論説にも存在する。

私たちはそうしたセミオティックとシンボリックの考えに基づいて、人間的な経験に関連する論説の類型学を構築できるだろう。そこでは言語の批判的状況、変化と進化の可能性を見定めることが可能となる。つまり言語学は、思い違いをしているわけではないが、明確な歴史の中での限定的な主体しか持たないということだ。

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