幻の光、宮本輝

太宰賞、芥川賞をそれぞれ受賞した「泥の川」、「蛍川」に次ぐ初期の宮本輝(1947 -)の代表作として、まず思い出されるのが「幻の光」である。関西弁による平易な語りの中に物語が描かれる短篇で、初出は新潮1978年8月号。翌79年に数編を加え、同名タイトルの単行本として出版された。

「幻の光」は、初出から17年を経た1995年、是枝裕和(1962 -)の監督デビュー作として映画化されている。作品は、とりわけローカルな風土の美的描写に敏感に反応した1990年代の欧米映画界で話題となり、各国で賞を受賞した。遠目のショットや、本作が映画デビューであった主役の江角マキコの生硬い演技が、映画に真実味を加味している。映画は英語では単に「Maborosi」と題される。

映画化という、言語をイメージへと変換する行為において、原作は潤色から免れない。映画では幾人かの登場人物やイベントが削除される一方、日本の原風景とも言えそうな、素朴な郷土の姿が加味されている。媒体の特性を活かし、秀逸な映像美を展開する映画だが、原作の底に張り付いている時代の空気や肉感が、脚本ではいくぶん濾過されている。原作の時代設定は執筆と同じ1970年代後半、それは戦争を境に混迷した古い社会の痕跡が、記憶や観念、また物質的にも残されていた最後の時代であった。それから約二十年を経て、映画は新たな時代感覚を下地にして、洗練された映像の中に「幻の光」を描き出す。

それにしても、「幻の光」とは一体何なのだろうか。原作には、人間とそれを取り巻く社会の、ある本質を示唆する記号であると記されている。

物語の主人公であり、それを語るゆみ子は、隣人の一家心中や祖母の失踪など、子供の頃から人々の不可思議な喪失を見ながら生きてきた32歳の女性である。成人し、幼なじみと結婚した彼女だが、遺書もない突然の鉄道自殺という、やはり不可解な理由によって夫を失うことになる。再婚し能登へと移るゆみ子だが、あてもなく線路を歩む前夫の姿が、解せぬ死の動機と共に、片時も頭から離れない。悶々とした日々を送るゆみ子だが、ある冬の日、猛りくる日本海の荒波の果てに、夫の死の真相を悟るのだった。子供にもめぐまれ幸福そうな前夫の姿。だが彼の心中は、深い孤独と不安に苛まれていたのではないか。線路を行く彼の後ろ姿には、貧困という不幸の重荷がまとわりついて離れない。

ゆみ子はある晩、夫に前夫の自殺の動機を尋ねてみた。「人間は、精が抜けると、死にとうなるんじゃけ」と、彼は答える。人は皆精が抜ける病を抱え、それが発病すると、眼前に美しい光が現れるのではないかとゆみ子は思う。拭い去れない貧困がその病を誘発し、レールの先に「幻の光」を灯したのではなかったか。ふと精が抜けた彼は、すべてを忘れ、ただひたすらその姿を追いかけた。

春の日の陽光を浴びつつ、物語を語るゆみ子の視線の先では、たとえようもなく美しく光輝くさざ波が、集ってはまた消えて行く。かつて漁に出ていた老齢の義父は、それを人の心を騙す光だと言った。だが彼女は今、光の中にそれとは異なる何かを見据えている。

宮本輝幻の光

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