ドイツのロマン主義

ロマン主義は1770年代に隆盛した「シュトゥルム・ウント・ドラング(Sturm und Drang、嵐と衝動)」を引き継ぎ登場した思想的な運動で、19世紀初頭にかけてヨーロッパ文化に多大な影響をもたらした。とりわけドイツにおいてその隆盛が著しいが、その背景として、ナポレオンの専制によるナショナリズムの高揚が挙げられる。1806年から1814年までの間、ライン同盟と呼ばれる国家連合としてその支配下に置かれる危機的状況の中で、それは国家の集合的意識として、国民の心へと浸透した。古典主義の対極にある動きとして、ロマン主義は絶対的な自由を嘱望するが、占領下にある国家においては、その同一性を目覚めさせる媒体として、そのような志向をもつ精神が嘱望される。

ロマン主義のロマンは、中世に語られた物語や神話を意味するロマンス(Romances)を語源とする。ロマン主義は人間を包括し精神的な深みを与える力として自然を評価しつつ、心的内面へと自我を向かわせることで日常の現実から逸脱し、より大きな宇宙的真実へと到達することを目論む、ユートピア的な運動である。神聖な存在を自然の内に求める姿や、楽園を神話やお伽話、農民文化などへと投影してゆくその試みは、革命以降の市民化や工業化を背景に洗練されてゆく社会の近代化への抵抗や楽園喪失への嘆きと同時に、秩序に立ち向かう人間の本能的な行動だとして理解される。

ロマン主義は発達する個人主義や理想主義の顕現として、当時の芸術に多大な影響を及ぼした。ロマン派に属する芸術家は、合理的な発想においては忌避される感情や直観を重要視し、内省を通じて自己の内面に、真の現実の姿を見出そうと画策する。彼らが活動した時代は、芸術家が教会、王、国家などをパトロンとしてきた時代の終焉に当たる。社会の市民化に伴い、芸術家には主題に対する個別の決断が要求されるようになり、その結果多くの芸術家が自らの内面にその主題を求めるようになる。そこで作品は孤独や寂しさを表明するひとつの自画像と化し、寓意的な表現を通じた、精神的な空虚感の克服の過程が、そこに描かれることになる。

このように内的精神へと働きかけるロマン主義において、それを司るのがイロニー的な自我である。「イロニー」とはいわゆる皮肉ので、それを擁する自我は無知を装い真の姿を隠蔽しながら、本質を引き出そうと画策する。ロマン主義は、そのようなイロニー的態度を持つ自我を通じて、自我と世界との調和によって成し遂げられよう、精神の絶対的な自由を憧憬する。それは現実の自己と世界に対するイロニー的な反省による、人間と自然との失われた統一の回復を通じて、取り戻されるはずである。

このような強い自由への憧憬は、近代社会がもたらす精神の機械化や喪失感によって、掻き立てられたものである。そのような感覚が自然や神話の見直しを迫り、包括的な自然把握や自然に宿る神性の直感的理解を介した、世界の神話化を憧憬させる。ロマン主義は神話を有限と無限、人間、自然、神とが融合する世界の姿であると理解する。自然を直感的に再現し、世界を神話化することで、それは有限的なものから脱却し、失われていた全体性が回復される。

このようにしてロマン主義は、分析的で理性的な悟性と断絶することで、有限と無限、実在と観念とを同一化し、全体的な世界構想を実現しようと企てるのだが、それは芸術的な試みに一致する。真の芸術において、創作と反省、自己創造と自己破壊、芸術と批評が統合されているように、世界の神話化というイロニー的な自我と世界との神秘的な交信による、その両者が分裂する以前に存在した根源的自我への再会は、主体と客体、精神と自然の二元論の克服と同義である。

このロマン主義と時代を共にする代表的な思想家のひとりがヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770 - 1831)である。ヘーゲルといえばまず思い出されるのが彼が示した弁証法で、休むことなく動き続けるその運動によって、世界はより高次の位置へと引き上げられる。主観と客観、理想と現実などの対立する要素を互いの認識の中に統合させる弁証法は、必然的にその内部に矛盾を孕んではいるものの、その矛盾は両者の交錯を通じて、進化ための媒介へと変貌する。ヘーゲルは世界を、絶対者としての理性が司る弁証法的発展を記す場として眺めたが、その背景として、占領による抑圧が生み出す国家至上主義や、増幅された民族優位性への国民的な傾倒が伺える。

ロマン主義と同様にヘーゲルの思想においても、国家の危機が影を落としてはいるものの、彼はイロニー的な態度が示す憧憬を病的なものとして批判する。ヘーゲルにとってロマン主義とは、現実から離れ非現実を内面化し、それを精神内部で創造することによって目的の完遂を図ろうとする、空虚な思想にしか過ぎない。「イロニー」が述べる世界とは主観化された世界であり、それはすでに主観化によって虚構と化している。彼は「イロニー」を、主客関係が消滅した全てが主観の世界であり、外界との接点を欠く肥大化した自我にしか過ぎないものとして切り捨てる。

ヘーゲルはロマン派と目される芸術に対しても批判的な立場を取り、その空想との絡みがもたらす現実性の喪失と、それに起因する遊離がもたらす美の自律性の曖昧化を根拠に、それらを批判した。とはいえ、そのような批判を待つまでもなく、フランス七月革命の年である1830年を過ぎる頃から、自然主義や写実主義の台頭にも伴い、ロマン主義はその影響力を失っていった。しかしその精神はその後も単なる回顧的な意味合いを超えて繰り返し見直され、現代においてもその直接的な影響が各所に見られる。

参考文献
The Romantic Spirit in German Art 1790-1990, Hayward Gallery Exhibition, 1994-1995
市民革命の時代、豊田堯、講談社、1973
美の変貌:当津武彦(編)、世界思想社、1988
ボードレール:ベンヤミン著作集、川村二郎・野村修(訳)、晶文社、1975

古井由吉の小説

古井由吉(1937-)が描くのは、意識の世界に潜むもう一つの世界であるといわれている。それは現実と虚構とが交錯する緩慢な世界として作者の美意識の内で断片化され、地層のように折り重なる文字の谷間から湧き上がる。断片的な作者の記憶の痕跡と、寓意的な虚構が混濁する古井の作品には、私小説的な趣が存在する。その核となるのは現実と虚構との邂逅だが、文学に潜む呪術的な要素がその出会いを媒介する。かつて傾倒したカフカ(Franz Kafka、1883 - 1924)やムージル(Robert Musil、1880 - 1942)と同様に、私小説という日本の近代文学の特質に着目する古井だが、虚構に対する忌避と執念とを兼ね備えるという彼の両義的な感覚が、単なる私小説の生産を妨げる。

古井は日本の近代文学を、現実の生に対して虚構をはりめぐらせる行為であり、書くという行為自体が虚構であると指摘する。古井が描く虚構においては、主体と対象との境界が、独自の文体を通じて曖昧さの内に表現されるが、その曖昧さとは、虚構と現実の生との間に繰り広げられる微妙な相互作用に対応する感覚を意味している。

近代の日本文学に特有の私小説とは、虚構を描くという行為をその行為自体の虚構にまで鈍化して、現実を虚構との関わり合いの中で最もあらわなかたちで見つめ直そうとする行為である。だがそれは、虚構に対する感性を重視させ、余計な感情を掻き立てないよう工夫させる行為であり、それは読者の人格を通り越して情念の深層に直接働きかけるという言葉の機能を破棄してしまう。日本の私小説的な文学は、人間の生を単純に虚構と見なす行為と引きかえに、言葉を機能不全に落とし入れ、表現の足場をなし崩しにしてしまう。

古井はこのように私小説を読み取るが、彼はその一方で、このような排除の試みにもひとつの隙間が存在すること、そこから言葉の呪術的な力が、文学の表面へと浮かび上がってくる状況の存在を確認する。足場をはずされた言葉は一旦表現力を失うものの、代わりに作者の意識の深層から何かを呼び出そうとする呪術的な力を得て、言葉はそれを契機に、作者の意識を乗り越え読者に訴えかける次なる段階へと進行する。言葉は呪術的な力を排除するために常に抑制されてはいるが、その力が文章の底から完全に抜け落ちることはない。

小説には影の部分、作者と読者が共有する言外の部分が存在する。小説は個々独自の方策でその場所を通して、読者への働きかけを試みる。だが小説の外部には意識を逃れて存在する、もう一つの影の部分があるのだと、古井は指摘する。その影の部分とは、作品が表象する対象とは無関係な、文章そのものに潜む情念と表現し得るようなものなのだが、それは個人的なものではなく、むしろ大衆的な心性からくる情念、不明瞭な輪郭の背後にさらに漠然と広がる大衆的な、つまり共有される表象のような、つかみ所のない影の領域なのである(*)。

近代の日本において小説を書く行為とは、虚構という感性にしがみつく保守的な態度の表明と軌を一にする行為だったのだが、そこ存在する第三の領域を作品に取り込むという行為を通じて、古井は独特な表象表現を獲得する。虚構と現実とを同一視する古井の感性は、国語という大衆言語に密着した彼独特の文体によって支持される。

実際に古井の文学においては、時にこの文体が物語全体をサポートする。散文には必然的にスタイルとしての文体が寄り添うが、とりわけ彼の作品では、その色合いが強調されてきた。一時期のような強い押し出しは影を潜めたとはいうものの、晩年に至る今も、彼の散文は個性的な文体で綴られる。古井が文体に目覚めるのは1970年代も半ばを過ぎその終盤へと向かう頃で、80年代末にそのピークを迎え、その後は平行線をたどりながら今に至る。執筆は「思い出す」ことによって開始される、事物を内面化する行為であるといわれるが、作家とその環境の変化の変遷は、文体の変化としても内面化され反映される。とりわけ戦後の「内向の世代」に位置する彼にとって、それは繊細な問題なのではないだろうか。古井は自身の加齢を物語に加味するタイプの作家である。年毎に枯れる精神を終末へと向かう記号に見立て、物語に死の寓意としての役割を委託するといわれるが、詩と散文の骨子が交錯するような彼の文体が、その寓意的役割を幇助する。

作家が忘我の内に記す言葉は唯心的で透明だが、一方自らの個の内面、他者との間にそびえ立つ自我へと向かう詩人の言葉は物質的で混濁し、そこに記される時間は石のように膠着する。そうした両者の特徴が交錯するのが古井の文体で、時に見られる主語の極端なまでの省略や筋の多重化が、自他と時制の区別を不明瞭にしてしまう。この仕組みを解く鍵を、古井自身が述べている。

ドイツ文学者でもある古井は、時に自身が研究したカフカやムージルに範を求め作品を発展させてきた。そのムージルにとってカオスとは秩序の極限を意味するが、言葉を物質化し混濁させて解体することで、古井はそれに追随する。崩壊の中で時間は膠着し、忘却と混沌の淵へと物語を引きずり込むが、そこに「時間差」を見たときに、言葉は再生され音となって蘇える。書くこととは、今書いている言葉を聴くことであり、書かれた言葉は声となって空間へと放たれる。混沌の中に語られる物語は、そこに生じる「時間差」によって、意識の底で聴き取られるのだと古井は指摘する。

ノート
(*)言葉の呪術:古井由吉、古井由吉集(新鋭作家業書)、pp. 240-245、河出書房新社、1971

古井由吉ムージル

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