人智学における芸術作品の制作

人智学(アントロポゾフィー、Anthroposophy)は、神智学(テオゾフィー、Theosophy)を下地に、ルドルフ·シュタイナー(Rudolf Steiner、1861 - 1925)が発案し、流布させた思想である。霊的な瞑想の修練を通じて、現世の背後に存在する隠れた力を顕在化することで、精神の気の肉体からの離脱による、物質的呪縛からの開放を志す思想で、その開放とは自由の獲得を意味している。

人智学は霊性を重んじる一方、テクノロジーを忌避し、機械的なシステムよりも自然の中で機能する精神を優先する観念的な思想であり、そこでは人間の精神的かつ感情的な要求を満たすため、神秘的、オカルト的、超自然的な生理学が優先される。人智学は、霊的な力を様々なスタイルのなかに可視化する媒体として、芸術を重要視する。人智学は、芸術を支える思考に影響を与え、作品の様態や制作過程を先導する。

人智学は超唯心的な状況を尊ぶ思想として、唯物論的形態を、「硬化したかのような人々の肉体的欲求」(シュタイナー)を指向するものだとして否定する。そこで人智学は、美術作品にともすれば加わりがちな無機的な表情を排除する。芸術とは正気のある創造的な力の産物でなければならないので、作品が描く形象からは、その真意を損なう表情はすべて取り除かれる。その結果、対象は多分に抽象的にとらえられ再現される。だがこの抽象化は、形態の模索とは無縁のものである。

人智学はその真意において、精神的な世界と物質世界の共存を説明する現代主義の転倒を試みる。その試みを支えるのが、主体と客体との関係、内部と外部との関係を模索する「転回(inversion)」と呼ばれる概念で、その源流はゲーテの変容の概念へと遡る。人智学的な芸術作品とは、その「転回」を有機的な世界の動きとして、連続的な変形の中に表現した結果としてあらわれたものである。

表現は変形を介して行われるが、それは形態的なアプローチを意味するものではない。形態的なアプローチは、思考をデザインに置き換える方法、内部と外部との間にある障壁を有機的に解消するための手段として取られるもので、人智学の要件を満たさない。形態的な模倣から精神的な充足を得ることは不可能で、障壁を有機的に解消するためには、無形なものと彫塑的で構造的なものとの間で揺れ動く内的な体験を、外界へ持ち出すという作業が必要になる。

制作作業には、芸術創造における自由の体験として、単なる既知の自然からの解放をこえた、より高次の自然の創造が要求される。作品制作とは、事物を内面から想像し、その内的体験を外的な世界にもたらすことである。それは物質的現象や感覚を越えた精神によって先導される行為であり、自然の模倣は行わない。その精神とは、自己の知覚によって内面に広がる外界と等価値の世界の存在を認識する自然に対する意識がもたらす精神であり、それが自然の束縛からの開放をもたらし、自己の内部に新たな世界を構築させ、現実からの決別を達成する。

作品制作における抽象へと進むプロセスとは、意識の動きの転写、「転回」のプロセスの模倣である。抽象化とは「転回」のプロセスに支えられ、外界との関係を断絶し、その単なる模倣を拒否することで、自然とは隔絶された純粋形態を獲得する行為である。

人智学における対象の抽象化を支える精神は、事物を限定的で一過性のものとしてではなく、永遠を指向するものとして理解する。創造行為における自然の観察とは個を超えたものである。したがって芸術は個体の内部に一般性が内包されるような世界の創造行為として、感覚の世界を、理性の世界に並ぶ第三の世界として表象する。創造行為は遊戯本能に委ねられた行為である。遊技は主観性を客観性に通用するものとして、両者の分離した働きを止揚し、それが悟性の必然性からの独立を可能にする。単なる模倣からの離脱は、主観と客観との合流による自由を獲得し、自然的なものと精神的なものとを合体する。

人智学は美を、感覚的で現実的な外観の中に現れた神的なものとしてではなく、神的な外観をまとった感覚的、現実的なものであると理解する。美とは新たに創作され、世界を神的なものへと高めるるものである。美は芸術家によって創作され、地上にもたらされ、芸術家の精神を通じて私たちの感覚の前にその現実の姿を現出させる。その現実の姿とは、理念の世界の表象を意味している。

芸術家は何を描くかという感覚的な概念と同時に、どのように描くかという理念を尊重する。そのプロセスにおいて美の本質は、理念の世界の表象として真理から分離されるので、現実が表現手段へと堕化されることなく、独立したものとして留め置かれる。現実は新たな形姿で表象され、た単なる自然の模倣から離れた、あり得るもの、可能なものとしての実体として立ち現れる。

芸術が表現する美は完全で、自然のそれを超越する。それが芸術に非現実、虚構、あるいは仮象という名を与えるが、芸術とは自然が本来そうであろうと欲しながらも、そうできないものの表現なのであり、そこにこそ芸術美の自然を超えた真実が存在する。「美とは理念のごとくに出現した感覚的現実である」とゲーテがいうように、芸術においては理念が真理として現象する限りにおいて、有限の世界を超越する。美とは隠された自然の法則の表明なのであり、芸術への抗しがたい欲求とは、自然の秘密を暴露し、それを解釈する最良の手段への欲求のことである。芸術家は制作と破壊とを繰り返しながら、個体を創造する原理にしたがって美を創造する。

神智学シュタイナー

人智学と芸術表現

人智学(アントロポゾフィー、Anthroposophy)は、神智学(テオゾフィー、Theosophy)を下地に、ルドルフ·シュタイナー(Rudolf Steiner、1861 - 1925)が発案し、流布させた思想で、主流哲学とは異なるかたちで、19世紀末から20世紀初頭の西欧文化に諸々の影響を及ぼした。人智学は裾野が広く、シュタイナーの教義も多岐に及ぶが、芸術への言及も少なくない。当時は世紀の変わり目であったと同時に、芸術の変革期でもあり、人智学はそれを補助する有効な理論的根拠として、多くの前衛的な芸術家に受け入れられた。

人智学は、芸術、学問、宗教の同一化を模索する思想である。独自の観念を有する思想であり、学問としての唯物主義や芸術における自然主義を、抽象的な死せる思考として否定する。人智学の目的とは、人間の文化を誠実な霊的世界の体験へと導くことであり、内的な世界体験から生じる生命的なものとして、芸術を理解する。人智学は抽象的な思考を否定し、独自の観念を前面に押し出す思想である。そこで、人智学の影響の下において芸術作品を制作する際には、まずその観念の享受が前提になる。

人智学は、観念を対象そのものにではなく、それを描く方法の中に潜むものだと理解する。そこで対象は破棄され、芸術は感覚的な表現による支配から救出される。芸術の美は直接に法則が知覚される場所、観念が形成される外的現象の中に生成されるのであり、美は事物が形成される場所で生まれるものではない。外的現象とは、感覚が外界へと開かれて行く状態のことで、その状態は、自然を尊ぶ心や、自然との融和を図ろうとする意志によって得ることができる。

そこで人智学は、自然に対する支配欲に取り付かれた一神教ではなく、自然との融和を尊ぶ多神教的な思考を優先する。多神教的な社会では、シラーの言う素材本能(素材衝動)に相当するような、感覚の恒常的な外界への開放が要求される。それをもとに人智学は、建築を身体、彫刻をエーテル体、絵画をアストラル体として分類し、それらを素材への共感を示す外的な芸術、また、詩を霊我、音楽を自我として、それらを人間の内側に共鳴する内的な芸術であると定義する。各々は形式的に隔てられており、それぞれは独自の特徴を強調しつつ展開する。各々の芸術は万人に課せられており、誰もが芸術家としてその契機を得ることができる。

万人に最も身近な芸術は絵画だが、それを人智学は、人間が生起する瞬間を描くものだと規程する。魂は面や線の方向に空間の彼方を見据え、そこで空間的な表象が失われ、すべては光と色彩の中へと突入する。それが絵画が描く、人間が生起する瞬間である。絵画における基本的な構成要素は光と色彩で、生と死、霊と魂の世界の中にある生が、それら構成要素によって描き出される。描画は超常的なものとして、言葉による語り、観念による思考、形態の形成の喪失による唯物主義的、自然主義的な思考の克服によって実現される行為である。

絵画とは光と色彩が表現する、生命、死、魂、霊などの要素が集約される平面的な場所である。人智学は空間遠近法を、唯物論を表象する外的自然主義の象徴だとして退け、代わりに霊的なものの中に息づく人間的な内的自然主義として、内的遠近法、とりわけ色彩遠近法を尊重する。色彩とは事物の表面に張り付くそれではなく、宇宙の真の本質の内部から輝き出て、その存在を啓示するものである。そこで、絵画においては、色彩遠近法が重用される。

人智学にとって描画とは、空間を二次元へと止揚する行為であり、絵画とは、空間の中に開示され、展開される色彩を有したエーテル的な生を、画面に写し出したものである。一方で彫刻は、抽象から離脱した形象として、頭脳から離れ外部で活動するもの、腕や指が思考の道具と化し、そこで思考が形態として生を得たものであると解される。彫刻における頭脳による思考の停止は、芸術の抽象概念からの離脱を意味している。彫刻とは、芸術的な形態の意味を、観念の象徴的、寓話的な模造として凝固させたものではない。彫刻とは、観念をある一定の点で流れ出るままにまかせた結果として得られる純粋形態を意味している。

芸術の内部には、形而上学的な概念だけでは推し量れない、直感的、あるいは霊的なモメントが存在する。混沌とした部分や超越する部分は、無意識の現れとして解釈されることが少なくないが、感知しにくい問題を考える際の一助として、神秘主義的な思想を参照するのも無駄ではない。ただし、人智学に潜む神秘性は自然のものであると同時に、シュタイナー個人のイデオロギーに密着したものでもあるという点に留意する必要がある。

神智学シュタイナー

人智学的美学の概要

人智学(アントロポゾフィー、Anthroposophy)は、その発案者であるルドルフ·シュタイナー(Rudolf Steiner、1861 - 1925)の言葉によって語られる思想である。神智学(テオゾフィー、Theosophy)から派生した唯心的な思想で、形而上学と意識的に対立する。

一般に美術作品は、シェリング(Friedrich W. J. Schelling、1775 - 1854)が示すような、美と真理の同一化を目指すものであると解釈されることが少なくない。彼にとっての美とは、最高の真理が高まる場、真理の高まりの観照なのであり、美は真理との融合が必須になる。芸術作品は、それ自身によって美しいのではなく、美の理念を模しているから美しい。そこで芸術は、学問の内容との合致を目指し、その合致によって作品は表現された理念、永遠の真理としての美の結晶になる。ヘーゲル(Georg W. F. Hegel、1770 - 1831)も同様に、美を理念の感覚的あらわれだと定義し、芸術の目的を学問の目的と同一化、芸術と理念との合致を企てている。

だがその一方で、シュタイナーにも多くの影響を与えたゲーテが示唆するように、芸術を隠れた自然法則の表明としての美として理解することも可能である。ゲーテは美を、理念のように現出する感覚的現実であると解釈する。理念は真理として現象するにしても、理念が美の内容そのものになることはない。自然の秘密のベールを除去すること。そこにゲーテは自然の解釈に最もふさわしい、芸術への抗しがたい憧れを感じていた。

シュタイナーは学問における唯物主義、芸術における自然主義、そして芸術の象徴的または寓意的な側面を否定する。芸術、宗教そして学問の源泉はひとつであると断言する彼にとって、芸術は悟性ではなく、感覚的現象としての理念によって形成される。理念が感覚的現象と言うかたちとるのは、美が神的な外観をまとった感覚的、現実的なものだからである。そこで芸術家には、感覚的なものの中に理念を現出させることが要求され、表現においては、テーマよりもプロセス、つまり何を描くかではなく、どのように描くかということに、焦点が当てられる。

人智学的な美学では、まず霊的なものの芸術への受容が論じられる。それは対象へのより高度な変容衝動の欲求に基づく受容で、芸術家はその欲求にしたがって、作品における人間精神の課題を、単なる模倣から逸脱させる。欲求は人間の霊魂や物質組織の中にある余剰への覚醒によって支えられているので、芸術は余剰を感覚的なものとして表現することになる。事物を内面から想像し、内的に体験された対象を外的な世界に造り出すのが芸術で、それは芸術に求められる課題として芸術を必然から解放し、芸術に物質的現象や感覚を越える、芸術的自由を体現させる。

人智学的な美学は、その芸術的自由をひとつの主題として据え付ける。それが語る自由への意識とは、人間内部にひろがる、外界と等価値の世界存在を、自己認識することで得られる、自然の束縛からの解放を意味している。芸術は現実から決別し、自らの内面へ新たな世界を構築することで、自然を越えたより高次の自然を創造し獲得する。芸術的な精神は、万物の限定性や過去への流出には否定的で、視点は永遠へと向けられ、つねに原像を指向する。

芸術において、自然はそのような原像への指向をベースにして観察される。そこで個人は超越され、個体の内部に一般性が内包されるような世界が創造される。感覚の世界と、理性の世界との並置が、新たな世界を構築する。そこでは、悟性は必然性から逸脱し、主観となる。主観性は客観性と相同になり、両者の分離された働きは止揚される。その主観と客観との合体が、自由を獲得させる。芸術においては、その自由の中で、自然的なものと精神的なものが、互いに交錯する。

霊的なものは、芸術に取り込まれることで、神的なものとして、芸術を通じて地上にもたらされる。したがって美とは、感覚的、現実的な外観の中に現れる神的なものではなく、神的な外観をまとった感覚的、現実的なものだと解釈される。神的なものは、遊戯本能に支えられた芸術家が、世界を神的に高めた結果、得られるものである。芸術家は何を描くのかという感覚的な行為ではく、理念を現出させるためにどのように描くのかという行為に没頭し、有限の世界を超越する。

芸術家はそのような行為を通じて、美の本質を真理から分離する。現実を表現手段へと変化させることなく、独立した状態として維持し、新たな形姿を模索するのが芸術家の仕事である。芸術においては、既知の存在ではなく、現実を越える可能性が創造の起点になる。芸術家は個体を創造する原理にしたがって、創造と破戒を繰り返し、美の真実へと接近する。その表象とは、完全なるものに近接する、自然には存在しないものである。美は自然を越えて真実に接近する。それは非現実、虚構、仮象として印されるのだが、それこそが、自然が本来欲しているものの姿である。

参考文献
芸術と美学:ルドルフ・シュタイナー、西川隆範(訳)、平河出版社、1987

芸術と美学

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