ダン・グラハム、Homes for America

1976年の2月16日、英国の大衆紙デイリーミラー(Daily Mirror)が、普段は疎遠な現代美術作品を一面に掲載した。階級によって概ね読む新聞が異なる英国では、大衆紙が、それも一面に美術作品を掲載したこと自体が、ひとつのニュースでもあった。掲載されたのは、カール・アンドレ(Carl Andre、1935 -)の、「Equivalent VIII」(1966)、ミニマルアートとしてよく知られた作品である。

記事の要旨はその購入に対する批判で、税金で運営されるテートギャラリーが、1974年に作品を購入する際に支払った、四千ポンドという額が問題視されている。その額は大衆紙の読者にとって小さなものではなかろうが、問題視されているのは、それと引き替えに手に入れたのが、単なる120個の煉瓦だったという事実である。この種の現代作品の概念と価値を知る者からしてみれば、そのような批判は全く的を得ないものなのだが、現代美術の意図を知る由もない一般大衆にしてみれば、それが不可解な出費に写るのは無理もない。

大衆紙は当時の英国を覆っていた景気後退に不満を抱く大衆の目を引くように、現代美術作品を思惑的にとりあげ、あえて一面に掲載した。その目的は、目を引く記事の掲載を通じた、売上の伸長だけではない。紙は同時に、大衆の無知に付け込みながら、上位階級の愛好品である美術の秘密を暴露することで、普段この種の新聞に欠けている社会の監視役という役割と、それがもたらす威厳の可能性を、大衆の心理に植え付けようとした。一方、この記事を通じて非難を受けた英国の美術団体も、作品への深い理解力を持ちながら、非難に対する有効な反論を見つけ出すことができず、結局この問題は、階級による趣味の違いの大きな隔たりを再確認しただけで、次第に忘れ去られて行った。

この出来事には現代美術を取り巻く切実な問題が提起されているのだが、こうした議論の出現こそが、まさに現代美術の役割と可能性を示すものであり、それを実際に引き出したのが、当時の大衆には拒否されたアンドレの作品に潜む概念である。今(文章執筆時)もこの「Equivalent VIII」は、「Last Ladder」等、彼の他の作品と共に、カタログNo.T01534としてテートギャラリーに収蔵されているが、その作品の実体は展示方法が示された一枚の証明証にしか過ぎない。展示の際にギャラリーの床に並べられるのは120個の市販されている煉瓦であり、それを大衆的な美学感で理解するのは困難だ。アンドレの作品はミニマリズム特有の知覚的な問題提起に加え、素材の選択とその配布方法による社会分析を可能にするもので、ミニマリズムのその次の段階を示唆している。

その段階を具体的に示す作品として、アンドレが作品と同じ年に登場したのが、「Homes for America」と題された、ダン・グラハム(Dan Graham、1942 -)による出版作品である。一般的には、複雑な構造を持つ造形作品で知られるグラハムだが、彼の歩みは概念芸術の制作からはじまった。その時期にグラハムが残した作品のひとつが「Homes for America」で、はじめて「Arts、December - January 1966-67」に掲載されて以来、ミニマリズムの限界を指し示す概念芸術初期の代表作として、たびたび各所でとりあげられている。

「Homes for America」は、一見ジャーナリズムに見紛う作品で、紙面ではありきたりなアメリカの住宅が、写真を交えて淡々と解説されている。とはいえ、美術雑誌に掲載されていることからも、それがある種の作品だということが予感される。

「Homes for America」は、ジャーナリズムの模倣を通じて、芸術の定義の拡大を図ろうとする作品である。芸術は、それが芸術であると理解できる範囲において、いかなる素材からでも制作でき、いかなる場所へも設置できるという考えを追求するのが、アンドレの作品であるならば、グラハムはそこから一歩踏み出て、言語の機能を用いることで、ミニマリズムが最後に拠り所とする伝統的な芸術空間の廃棄を試みたのである。この作品では雑誌のページがギャラリーと同様に機能しており、言語によって解説される産業的な住宅の構造は、そのままミニマリズムを素材から読み取る図解として機能する。「Homes for America」は、先鋭的な動きとしてのミニマリズムを、言語化を通じて一旦解体し、その限界を問いかけるという作品である。

グラハムにとって芸術的に対象を表現する最終的な方法とは、それを言語という非物質的な記号へと転換させることであり、そこで対象は言語と等価になることで、究極的な拡張手段を手に入れる。言語化は美術作品の一回性を破棄し、その商品価値を形骸化させると同時に、言語の偏在可能性によって、永遠ともいえる拡張を可能にする。批評家のルーシー・リッパード(Lucy R. Lippard、1937 -)は概念芸術を、「The dematerialization of the art object」として総括しているが、この「Homes for America」は、その過程を最も明解に示す作品のひとつである。

参考文献
Art in the Age of Mass Madia: John A Walker, Pluto Press, 1983
The Rise of the Sixties: Thomas Crow, The Everyman Art Library, 1996

ロバート・スミッソン、ブロークン・サークル - スパイラル・ヒル

「ブロークン・サークル - スパイラル・ヒル(Broken Circle - Spiral Hill)」はアメリカの現代美術家、ロバート・スミッソン(Robert Smithson、1938 - 1973)がオランダのエメン市(Emmen)郊外に制作したランドアートである。水郷に構築された直径141フィート(約43m)の「ブロークン・サークル」と、その直近の丘に盛り上げられた直径72フィート(約22m)の「スパイラル・ヒル」との、ふたつの構造体で構成される作品で、市の中心部から北東へ約2.3kmの場所にある土砂採石場跡(Zand-Grint-En Grondwerken De Boer)北側の一画に位置している。

作品は同国で1971年に開催されたアートフェスティバル、「Sonsbeek'71」への参加作品として、当初は公園への立地が予定されていた。だが、作品制作を開拓行為だとするスミッソンはその計画に難色を示し、改めて彼の意図に沿った作品制作が可能な土砂採石場跡地へと、設置場所が移された。作品はフェスティバル終了後の解体が予定されていたが、エメン市の要請で永久保存されることになる。その当時のランドアートには、鑑賞者が立ち寄りがたい僻地で制作され、その後は自然の崩落に任されるというものが少なくない。立ち寄りやすい都市郊外に制作され、行政的に保存管理される本作品は、ランドアート、とりわけスミッソンの作品の中でも、概念的に多少異なる位置に置かれる作品である。

スミッソンの作品概念

スミッソンは美術家としてのキャリアを、ミニマルアートの評論と制作からスタート開始した。ミニマリズムは、ゲシュタルト理論や現象学を参照し、鑑賞者にも一定の役割を持たせることで、作品空間に時間性を組み入れる等、観念的な形式主義美術に対峙する前衛的な試みであるが、彼はそこにエントロピー(Entropy)や虚無(Void)といった概念を下地にする、独自の思考を加味することで、それから一歩踏み出た作品を制作した。彼は作品を「場(サイト)」として、それを外部へと拡散させる各媒体との間にできるネットワークを強調することでオブジェを解体し、脱中心化への道筋を模索した。

スミッソンは中心となる作品をまず戸外で展開し、それをすでに痕跡となった「場」として、写真、映像、テキスト等を通じて鑑賞者のもとへと拡散する。作品を単なるオブジェとしての存在から開放し、思考の場へと発展させてゆくのが彼の戦略で、それが彼のランドアートを、単なる屋外彫刻と差異化する。

「サイト・ノンサイト(Site / Non-Site)」と題された一連の作品では、中心として僻地に存在する「場」を、現物(その場で採取された土石)、写真、地図、映像、言語、スケッチ等に収め、失われた「場」の痕跡として、都会に位置するギャラリーに展示する。「場」を単なる差異として痕跡化するプロセスの中に、不在(Void)としての場の存在を問い掛け、脱中心化の図式を示すのが彼の手法であり、アメリカのサルトレイクに制作された代表作、「スパイラル・ジェッティー(Spiral Jetty)」をはじめ、彼の一連のランドアートにおいても、その手法が踏襲されている。

ブロークン・サークル - スパイラル・ヒル

巨大なランドアートを眺める行為においては、作品を単に対象として眺めるのではなく、その場の時間の経過の中で起こるスケールの変化を感じつつ、作品を風景の一部として体験することになる。鑑賞者は風景との交錯の中で変化し続ける作品のスケールを目の当たりにしながら、無意識のうちにもその意味を理解する。それは、スミッソンの言葉を借りるならば、場の差別化と非差別化の中で起こる、差異無き場の体験といわれるもので、その行為は見るというより触手に近く、そこに展開する空間とは、触覚的空間と呼べるものである。草地、採掘場、崖、湖といった分断された風景で構成されるエメンの土砂採掘場跡の地勢は、そのような作品体験を得るのに打ってつけの場所である。

それとは別に本作品には、荒廃し破棄された場を芸術として再生させる、ランドリクラメーションという目的が存在する。人的行為によって荒廃した土地をマーキングすることで、その行為を警鐘すると同時に、その場に美的価値を付け加え、土地の再生を図ろうとする行為が、スミッソンが提起するランド・リクラメーションである。都市郊外にある荒廃地、土砂採掘場跡に制作される本作品では、とりわけ芸術による土地再生というアイデアが生かされる。一方、本作品には、彼の諸作に通底する概念も内包されており、彼は関連する映像作品を計画していたが、未完のままに終わっている。

巨礫

「ブロークン・サークル - スパイラル・ヒル」は、文字通り「ブロークン・サークル」と「スパイラル・ヒル」というふたつの構造体で構成されているが、その二重性が作品に対する知覚の分散と、それ自身の脱中心化に寄与している。脱中心への指向は、スミッソンの作品概念の精神を示すものなのだが、本作品には一抹の曖昧さが同居する。その曖昧さはブロークン・サークルの中心に位置し、それを特徴づける巨礫によってもたらされている。

オランダには珍しく、この場所には前史時代においてモニュメントを構築する際に用いられたとも伝えられる巨礫(きょれき、boulder)がある。巨礫は作品に中心となる焦点を与えるだけではなく、その存在感がサークル周縁部へと向かう知覚を侵食する。それは障壁として、鑑賞者がブロークン・サークルに立ち入る際に、その視線を巨礫の周囲に集中させる。この障壁は写真を真上から見たときのように、サークル周縁の連続的な湾曲が吸収することで、ある程度の回避は可能だが、それだけでは根本的な解決には至らず、当初スミッソンは、巨礫の円周外への移動か、その場への埋設を希望した。

スミッソンは、巨礫をこの地に伝わるフン族のベッドと呼ばれる地面に埋め込まれた船形の葬室と折り重ねることで、それを失われた意志として、肯定的な見方をしようとも試みた。だがそれはやはり作品にとっての台風の目、その荒涼とした場所の壊疽であることに変わりはない。しかし彼は最終的に巨礫を受け入れた。写真でこの場所を観察し続けるうちに、彼は中心にある陰影のような塊に次第に魅せられるようにもなり、最終的に巨礫をエラーであり、悪として受け入れることに同意した。

Google Mapによる位置

参考文献
The Collected Writings: Robert Smithson, Jack Flam (Ed.), University of California Press, 1996

The Collected Writings

ジョゼフ・コスース、最後の絵画

抽象表現主義を学ぶ際に避けて通れない資料のひとつが、クレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg、1909 - 1994)が残した一連の論文であろう。論理の限界を立証するための論理だとして、彼はカント(Immanuel Kant、1724 - 1804)を参照し、それを下地に、内側から批判される諸手順そのものを通してそれ自体を批判する自己充足的で純粋な芸術形式だとして、抽象表現主義を評価した。彼はその動きを、アメリカ独自のモダニズム芸術の終着点だと断言し、確固たる地位を与えていった。

抽象表現主義は、1950年代に入り、アメリカを代表する前衛美術として、内外ともに認められるまでに成長した。とはいえ、モダンアートはとどまることなく批判され、更新されることで、その成長が約束される芸術形式である。そこで、抽象表現主義にも批判の目が注がれることになるだが、それに確固たる地位を与えるグリーンバーグ等の批評家は、歴史的必然性を無視し、彼等の趣味判断が認める美術に対抗する作品を一方的に排斥した。その行いは美術館内部から出版社や画廊にまで及び、彼等の意にそぐわない作品は、ことごとく一般の目から遠ざけられた。

抽象表現主義は作品の純粋性に依存する、自己批判的な芸術形式である。そこで次世代の芸術家はその定義を逆手に取り、グリーンバーグの言う「内部から批判されているその諸手順そのものを通しての批判」を改めて実践することで、その基盤を揺るがそうと試みた。ロバート・ラウシェンバーグ(Robert Rauschenberg、1925 - 2008)等の絵画、ポップアート、ハプニング、ミニマリズム等、種々の方策が試みられたが、概念芸術(コンセプチュアルアート)に至り、ついにその動きがピークを迎えることになる。

作品を非物質化することで対象を還元するのが、概念芸術の基本戦略である。そのプロセスとして様々な方法を示す美術家が出現したが、ジョゼフ・コスース(Joseph Kosuth、1945 -)もそのひとりで、彼は美術の語法の転換、概念と作品の同一化に興味を示す。

コスースが作品を発表しはじめた1960年代半ば、前衛的な美術家は、新たな素材の導入とその物質的特質を武器に、諸々の作品に取り組んでいた。物質性を強調し、時間と空間とを混濁させ、両者の境界を揺さぶることで、作品の純粋性を疑問に付すというのが、それらの主だった主張である。だがそれら一連の動きには、より根本的な問題に対する問い掛けが欠けている。その欠落は一連の試みを、抽象絵画の概念へと回帰させ、その単なる延命処置として終わらせてしまうことにもなりかねない。

コスースは、批評家のヘゲモニーと化した抽象表現主義への対抗手段として、それを越える権威的な言語としての哲学、また後には人類学をも援用し、その解体を図ると同時に、芸術の意味それ自体の転換を図ろうと試みた。彼の芸術概念は、初期のウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889 - 1951)、A・J・エイヤー(A.J.Ayer、Alfred Jules "Freddie" Ayer、1910 - 1989)、ヴィーコ(Giambattista Vico、1668 - 1744)に加えて、マルクス(Karl Marx、1818 - 1883)系の人類学から得た知識を下地にしたものだ。形式主義から有用なものを取り出すことで、モダニズムの内在的批判を行なうと同時に、新たな社会分析へと向かう。それが彼の一貫した戦略である。

コスースは、対象を還元して作品へと昇華してゆくプロセスの中に意味の生産性を付与することで、作品を再観念化する。その一例としてまず示されるのが、1965年に発表された、「One and Three Chairs(一つと三つの椅子)」と呼ばれる、証書としてのみ存在する作品である。現物の非存在、物質性の不在は、受け手から消費者としてのステータスを奪い去る。受け手はそこで脱政治化され、逆に作品には政治的意味が付与される。芸術の脱商品化と、美学の政治化は、コスースに限らず多くの概念芸術家が指向しているテーマだが、彼の作品の方法は、とりわけ強く絵画の終焉を予見する。彼の作品は、抑圧的な価値観と固定的な階差を武器に、歴史の中に君臨してきた絵画に贈る最後通告、あるいは最後の絵画だと言えるものである。

参考文献
Art After Philosophy and After: Collected Writings 1966 - 1990: Joseph Kosuth, MIT Press, 1991
Modern Art and Modernism, Francis Frascina and Charles Harrison (Ed. ), Open University, 1992

Clement GreenbergカントウィトゲンシュタインA・J・エイヤーヴィーコマルクスArt After Philosophy and After: Collected Writings 1966 - 1990

ロバート・スミッソン、A Heap of Language

「(...)理性の外部にある言葉は『死んだ文字』の集まりだ。逐語に対する異常な情熱とは、現実的な合理的真実の崩壊に他ならない。書籍は言語を作り事の死後硬直として葬り去るが、それがおそらく『印刷物』を時代遅れとみなす理由だろう。だがその死への希求、それこそがゆるぎない喚起を誘うのだ」、Eton Corrasable(*)

ロバート・スミッソン(Robert Smithson、1938 - 1973)は、1960年代から1970年代初期に活躍した、ランドアートのパイオニアのひとりとして知られる、アメリカの前衛芸術家の一人である。彼の代表作は「スパイラル・ジェッティー」等のランドアートをはじめとする、屋外に展開される作品で、その多くが写真、映像、ドローイング、言語等の媒体によってのみ体験される。「サイト・ノンサイト」と呼ばれる作品では、起点、中心となる「場」は分散され、痕跡と化し、周縁としてのギャラリーに各種の媒体を用いて再生される。彼の作品は、エントロピーや空虚といった概念に支えられ、中心と周縁との間に出来るネットワークを描き出すのだが、その仕組みを記す言語を用いた作品が存在する。

モダンアートの歴史の中で、言語は重要な素材として度々登場してきたが、その多くは言語とイメージとの断絶、両者の階差の内側での使用にとどめられてきた。スミッソンは言語の物質性を強調し、それを言語の透明性と交錯させ、言語の両義的性質を拾い出すことで、従来の限定的な枠組みから言語の用法を開放する。物質化された言語は空虚となりいったん崩壊するが、その死の体験は、言語を合理的枠組みから救いだし、新たな媒体として蘇えらせる。それは言語とイメージとの間のヒンジとなって、両者の新たな関係性を示現する。

スミッソンは造形物やランドアートに対しては、テクスト的なアプローチを行うが、言語においては、その物質的な側面を強調する。構造主義は、言語を互いの関係性の中に戯れる差異へと導くが、スミッソンは言語を無意味な空虚として、物質へと還元する。彼は造形作品において、さまざまな方法を用い、脱中心化を試みるが、言語においては、その透明性をいったん括弧に入れることで、その中心とされる固有の意味からの開放を試みた。

スミッソンが残した言語を用いた作品の中に、1966年に制作された「A Heap of Language」という小品(16.5 x 55.9cm)がある。「Language」という語を頂点に、徐々に語数を増やしながら、グラフ用紙の上に三角形のピラミッド型に文字を配置した作品で、文字の手書きが作品をドローイングのように見せかけると同時に、手書き特有の読みにくさと総体としての形状が、作品を造型物として浮き上がらせる。彼の造形作品は物質とその崩壊、拡散を演出するが、言語においてもそれは同様で、観念論的な概念、合理主義的な思想を形成する、言語本来の意味は、無の深淵の中にいったん保留される。

合理主義哲学を起点とする芸術概念は、視覚芸術を空間芸術として、テクスト(文学、時間性)から厳密に分離する。Gary Shapiro(1941 -)は、「Printed Matter」と題される論文で、スミッソンの言語を用いた作品を、そのような概念に抵抗するものであると解釈する。スミッソンは、逐語と隠喩、意味の存在と不在という言葉の二重性の中に言語を配置し直すことで、両者の分離に揺さぶりをかけ、芸術における脱中心化への道筋を発見しようとしていたようだ。

「A Heap of Language」は、まず心理に対して透明な言葉を無言な素材として読み替え、それを積み上げることで、言語の二重性を浮き彫りにした作品である。Shapiroはまず、言語の集積が描き出すピラミッド型の形態を、神話的な解釈から引き離す。彼はそれを単なる物理的な引力の表現、作品に重量感を加味し、言語の物質性を強調するものだとする一方、手書きの文字を言語本来の意味に対する透明性が、今まさに物質性の殻を破って表出してゆく姿であると解釈する。

作品が描き出すものは、言語の物質性と透明性とが交錯する様子、言語に備わる二重性の表象であり、そこではイメージとテクストとの差異が明確に表現されている。それは差異へと還元される言語が、それ固有の意味の存在と不在という揺らぎの中で、その意味を形骸化されてゆく姿、作品の観念論的な構造や概念への還元が、まさに失敗に終わろうとする姿なのである。逐語(ちくご)的な意味と隠喩的な意味との間で作用する極度の緊張が、グラフ用紙に描かれた個々の文字を喚起する。文字は意味内容を包含しつつも、強調される物質的なふくらみ、スミッソンの言う「死への希求」として、空間と時間との境界の中へと踏み込んで行く。

Shapiroの解説は示唆に富むものだが、加えて、その文字の手書き特有の消え行くような「はかなさ」は、あたかも伝達途上で意味が失われてゆくような、言語のエントロピー的な運命を暗示してもいる。原料から廃棄物へ、秩序から無秩序へと向かうエネルギーの不可逆的な進行を示すエントロピーは、スミッソンの思想の中核をなす概念のひとつである。時の経過とともに朽ち果ててゆく彼のランドアートは、その全体像をして人類とその都市が行き着く終末の姿を予見する。「A Heap of Language」は作品のテーマとなる事象やその解決へのプロセスを、その造形自身のアレゴリーの中に求めて行くという、スミッソンのランドアート全般に見られる概念のスキームだとして読み取ることもできるだろう。

(*)Eton Corrasable, LANGUAGE TO BE LOOKED AT AND / OR THINGS TO BE READ, The Collected Writings, Ed. Jack Flam, University of California Press, 1996, p.61。作者の「Eton Corrasable」とはスミッソンの偽名である。抄訳は筆者自身による。

参考文献
The Collected Writings: Robert Smithson, Jack Flam (Ed.), University of California Press, 1996
Earthwards: Gary Shapiro, University of California Press, 1995

The Collected Writingsエントロピーミッシェル・フーコー

ロバート・モリス、コラムと反形態

単色の平滑な表面に被われた、単純な立方体のミニマルアート(ミニマリズムの作品)。一瞥でその裏側まで見通すことができ、その内部には何もない。だがその「無」は、思考の非在を意味するわけでは決してない。逆にそれは美術の自然からの脱却を示唆するもので、その真意は作品の中心から外れた場所、外部という周辺部に位置している。

ミニマリズムは、後期資本主義社会を背景に、ポストモダンという新たな思想が流布しはじめた1960年代前半に出現した、造形作品を主体とするモダンアートの動きである。その源流は、戦前のロシア構成主義や、マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp、1887 - 1968)のレディメードにまで遡るが、諸々の作品が擁する非伝統的な素材の使用や、作品価値の技巧からの分離といった特徴は、その動きを生み出す直接の契機になった、唯心論的な抽象絵画の特徴のまさに対極に位置するものだ。

ミニマリズムは批評的イデオロギーを内包する唯物的な動きであり、画家の心理、時間性の排除、絵画の平面性等に依存する自己充足型の抽象絵画、当時のアメリカで、代表的なモダンアートとして君臨していた、抽象表現主義絵画に対立する。個々のミニマリズムの作品は、素材とその使用法によって様々な様態へと仕上がるが、外形的にも、概念的にも、その原点のひとつとしてまず示されるのが、ロバート・モリス(Robert Morris、1931 -)が制作した一連の作品である。彼の作品はプライウッド等を素材とする単純な立方体として制作されるが、その中でもとりわけ象徴的な存在感を示すのが、1961年に制作された「コラム(Columns)」と呼ばれる作品である。

「コラム」はもともと同名のパフォーマンスで使用されたプロップで、そのため造形作品には必須のベースがない。パフォーマンスのプロットはシンプルで、舞台に人間の姿はない。

  1. カーテンが開けられる。
  2. ステージの中央にグレーに塗られた高さが8ft(243.84cm)、底面一辺が2ft(60.96cm)の木製のコラム(column)が立っている。
  3. 3分半の間、何も起こらないまま経過。
  4. コラムが突然倒れる。
  5. 再び3分半のあいだ、何も起こらないまま経過。
  6. カーテンが閉じられる。

この「コラム」の内容から想起されるのが、モリスとも交流があるジョン・ケージ(John Cage、1912-1992)が1952年に発表した作品、「4分33秒」である。楽譜という中心的理念とそれを仲介する演奏を拒否し、恣意的概念を表象するノイズ(環境音)に演奏を任せる作品で、ケージはそれを通じて合理主義哲学を下地にする芸術からの決別を宣言した。パフォーマンスの通過は、造形作品に時間性を与え、同時に作品受容のありかたを変更させる。またプロップの単純な形状は、造形作品をフォームの追求から開放する。

モリスはその後、パフォーマンスで使われたプロップに立体もう一本を付け加え、ギャラリーに展示した。ギャラリーでの時間性の獲得は、物体が行うパフォーマンスにではなく、鑑賞者のゲシュタルト体験を横切る知覚体験へと置き換えられている。

ミニマリズムは新たなモダンアートの動きとして、1960年代後半へと向け隆盛するが、徐々にマンネリ化し、フォームに固執し形態美を模索するような、むしろそれが抵抗すべき概念へと自ら接近するという本末転倒な作品も制作されるようになる。モリスは後にミニマルアートを回顧し、確立された絵画の平面に関する知識と、物体に関する知覚的な知識を仲介する役割を担う作品として、その功績を讃える一方で、それを引き継いだ作品に見られた後退、平面性を示唆するものへの回帰を指摘している。

モリスはそのような現状をも踏まえ、早々に形態からプロセス(制作過程=時間)へと視点を移し変えてゆく。とりわけ1967年以降、彼は直方体と決別し、後期ルネサンスの素描、ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912 - 1956)、モーリス・ルイス(Morris Louis、1912 - 1962)等のオーガニックなフォームにヒントを得た、「反形態(Anti Form)」と呼ばれる一連の作品に集中した。

キャンバス(画布)のストレッチャー(支持体)から開放された、ポロックの作品に現れる形態は、彼の肉体が生み出す制作プロセスの軌跡であり、そこでは視覚性と物質的な身体性とが、見事に調和する。モリスはそのような作品を足がかりに、リジッドな形態や工業生産的な製作手法からの離脱を思い立つ。モリスはプロセスの問題としてミニマルアートを再検討し、その結論として、無加工のフェルト等の柔和な材質を用いた、不定形の作品に取り組んだ。

モリスは彼の新たな作品に、引力(Gravity)、偶然性(Chance)、不確定性(Indeterminacy)といった要素を導入しているが、後二者はケージが積極的に用いてきた概念に直結する。この「反形態」の動きには、ミニマルな作品を屋外に設置することで、その概念を環境へと働きかけることに成功したリチャード・セラ(Richard Serra、1939 -)等、次世代のアーティストも参加した。

モダニスト的な発展過程の中にポストモダン的な発想を持ち込み、作品を揺り動かすのがモリスの発想の特徴で、それが彼に変わり身の早さと、多岐に渡る作品の制作を可能にする。

時代の先端が、作品の物質的な存在とその経済的価値を放棄する方向へと動いてゆく中で、ミニマリズムは最後の物質的な動きとして、モダンアートの歴史の中で一定の存在感を示している。モリスと同世代で、ミニマルアートのパイオニアのひとりに数えられるカール・アンドレ(Carl Andre、1935 -)は、作品を紙に書かれたインストラクションとして移譲することで、特定の展示空間、制作行為、オリジナリティーから作品を開放しようと試みた。彼はありふれた工業素材を作品として代用すし、そこに社会的意味を付加することで、特権的な芸術価値に挑戦した。

参考文献
Continuous Project Altered Daily: The Writings of Robert Morris: Robert Morris, MIT Press, 1995

Continuous Project Altered Daily: The Writings of Robert Morrisジョン・ケージ

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