ボア、理論モデルによる絵画の解読

ユベール・ダミッシュ(Hubert Damisch、1928 -)は、レオ・スタインバーグ(Leo Steinberg、1920 - 2011)が1970年代初頭に発表したフラットベッドと呼ばれる絵画平面(*)を先取りする理論を、それより10年も前に発表するなど、革新的な活動で知られる美術史家である。フランスの美術史家イヴ=アラン・ボア(Yve-Alain Bois、1952 -)は、「Painting as Model」(October 37、Summer 1986)という論文で、そのダミッシュの理論等を参考に、四種類の理論モデルを設定し、抽象あるいは抽象的な絵画を考察する。ボアは一連の作品を、各理論モデルの中に、哲学を包含する機械のようなものとして捉え直し、凡庸な心理学的な、あるいは感情論的な解釈から救出しようと試みる。

ボアは、歴史をリニアに進化するものだと前提する、形式主義的な美術史家だと言われているが、クレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg、1909 - 1994)やマイケル・フリード(Michael Fried、1939年 -)等とは異なる思考を通じて、諸問題へのアプローチを試みる。

ここで訳出し、内容をまとめた論文、「Painting as Model」は、「October」誌、1986年夏号に掲載された英訳で、後年MITプレスから同タイトルで出版された書籍に再掲載された本論との比較は行っていない。論文には四種のモデルが提示されているが、ここではそのうちの三つをとり上げる。

I、知覚的モデル

サルトル(Jean-Paul Sartre、1905 - 1980)は、絵画を知覚するという行為を、表層に表現されたイメージを形態として捉える行いだけに限定し、絵画のマテリアルの存在や、それが持つ質感というものを無視した。彼の考えでは、われわれが確認できるのは表層に描かれた形態だけで、意識はイメージを捉えるために退化する。模倣に固執するサルトル的な解釈では、抽象作品の媒体の特性は無視されることになり、単にその表層にある幾何学的なイメージを通じて判断され、解読されることになる。

その一方で、知覚的モデルに属する抽象作品は、シニフィアンの詳細、絵画のテクスチュアに着目し、素材的見地から絵画を見据え、その物質的存在感を示すことで、サルトル的読解に対抗する。それらは独自の美的表現や非現実的な表象を主題とする抽象画だが、その確固たる質感が静かにその全身でもって、表層的な解読を退ける。

例えばモンドリアン(Piet Mondrian、1872 - 1944)の作品を知覚的モデルとして眺めると、その明快で幾何学的抽象のまさに対極にある知覚的アポリア(難題)として、作品を理解することが可能になる。モンドリアンの作品の要は直線であり、曲線はすべて取り除かれている。その理由となるコンテクストは、モンドリアンの心を時々支配した神智学だが、知覚的モデルとして彼の作品を見る場合、それはいったん保留される。かわりに作品は明確な理論的モデルとして提示され、イメージの内部にではなく、作品上に展開される思考の発展そのものが、作品の主題として取り扱われる。モンドリアンが描く特徴的な直線それ自体によって、彼の思考の発展が表現される。

直線に相反し空間を満たす曲線は、その空虚を表象する。イメージに対するわれわれの意識は、空間を埋め合わせるための口実でもあるかのように、空間自身に配置された曲線へと、いやおうなしに導かれる。意識はその意味として、そこで何が構成されているのか見極めようと、とどまることなく思考し続け、目は休むことなく絵画の構成要素である線、色や形象に引き戻される。

モンドリアンの絵画における曲線の排除は、そのような意識の衝動を停止させる役割を持ち、それは衰退させられた意識を呼び戻す。彼の直線のみで構成された作品においては、直線が絵画本来の物質的存在を喚起させる。サルトル的な映像意識は、対象を構成することに終始して、そのまま尽き果ててしまうのだが、曲線のないモンドリアンの作品では、結末のない規定的な意識的活動が、継続的に上書きされてゆく。

実際にモンドリアンの作品に対面すると、それから何かを思い浮かべ熟考するという、ごく普通の衝動から逃れることは困難だ。しかし一方で、知覚的モデルとしてのそれを目の前にすると、サルトルが保証した感覚的悦楽を越えた、ある種の戯れの始動が感じられるのも確かである。作品が映像意識を禁じることによって、鑑賞者は絵画を真に知覚するときに感じられる、ある種の不安感にも似た感覚に気付かされるはずである。

知覚的モデルは両義的であり、見るという作業において、知覚的な交感が必要になる。また、そのような両義性は、ジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet、1901 - 1985)の絵画のような、全体が厚いメジウム(絵の具)で覆われた作品において、より顕著にあらわれる。彼の絵画では描かれた形態(フォーム)が、曖昧なシルエットと化した背景として理解され、テクスチュアとして見なされる。そこで、奥に隠れた形態とその構造を理解するために、視線は逆に、それより浅めに差異化された背景の方へと移動してゆくのだが、表象はその対象の幾何学的な輪郭へと還元されずに、テクスチュアに縛られたまま、とどまり続ける。そのような状況は、われわれの持つすべての感覚を、同時に引き出す。知覚的モデルとしてのデュビュッフェの絵画は、形態のイデエ(イデア)を、それ本来の意味に修復するものであるということができる。

知覚的モデルは、イメージを統合するさいに、知覚それ自身の確定不能性を保証しないままに、地と図の対立を混乱させるという予備的なタスクを、モダニィティー(近代性)に与えることに成功した。知覚的モデルは、地と図の関係に潜む両義性を確定することで、モンドリアンとジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912 - 1956)との比較を可能にすると同時に、ポロックの抽象と具象とを異なるものだとするような、生産性のない解読を否定する。

II、技術的モデル

グリーンバーグやフリードは、サルトル的な想像意識や非現実をより注意深く取り込みながら、ポロックのオールオーヴァーペインティングを、独自の理論で解読しようとした。技術的モデルは、サルトル的思考を拒否しつつ、同時にそのような形式主義的解読にも対立する。技術的モデルでは、意図的な作品の地表面からの理解、つまり、そこで表現される効果に先立ち、まずそれを構成の場として理解することが要求されるので、それを読み込む思考プロセスが、とりわけ重要な意味を持つ。そのような特長をした技術的モデルの一例として、ポロックが1947年から50年の間に制作した、ドリッピングジェスチュアを作業主体とする、巨大なオールオーヴァーペインティングが例示される。

一般にポロックの個性は、作品に散りばめられたペイントと共に、キャンヴァス上で展開されるジェスチュアと同義的に解釈される。したがって、彼のタッチは単なる痕跡、彼のジェスチュアが必然的に生み出した生産物として、読み取られることが多い。だが真に重要なことは、そのタッチこそが、面=地と調和する前にペイントを活性化させているという事実である。むしろジェスチュア(あるいは痕跡)の方が、初期的な段階にとどまっているのであり、そのことが、それぞれのタッチが、先行したタッチと背景との関係が生み出した効果を拒否し、破壊してゆくことを可能にしている。活性化したペイントとは、それぞれのタッチが描き出す線の重なりの厚みのことで、それが表面の構成の根本原理に対して革命を起こす原動力となる。キャンヴァス上には、一面に広がる多くの線が地を掘り起こすかのように描かれているが、対位法的な作業の中で、線の幅がそれ以上の発展を見ることはない。そこで発展するのは、重なり合う線の厚みであり、個々の線はその先行する線との関係によって、意味を生じる。

技術的モデルとして考察するポロックの作品に見られるペイントの厚みは、知覚上での地と図の混乱に相当するもので、同時にその機能は、彼の作品がシュールレアリズムに対抗するものだという事実を証明する。また、ポロックのこの種の作品を独立した技術的モデルとして理解すると、サルトル的な知覚認識が滑り込む余地が残されている「The Flame」におけるジェスチュアーや、「Male and Female」、あるいは「Sea-Wolf」の殴り書きを、単に後に描かれる偉大な作品を準備する予備的な記号として扱うような解釈は不可能になる。

技術的モデルは絵画のテクスチュアを主眼にして作品を解読する。そのいくつかの例としては、デュビュッフェの作品における隠された下地の再発見、ポール・クレー(Paul Klee、1879 - 1940)の作品における表面とその下部との位置の交換、モンドリアンやジョルジュ・ルオー(Georges Rouault、1871 - 1958)の作品に見られる織り合わせ等があげられる。技術的モデルでは、テクスチュアという物資的厚みの内部で起こる効果の進展が、常に透明になっている。そこでは固定化された記号が生み出されるようなことは決してなく、あたかもその糸が交互に上下する織物のように、下部と上部の間の位置の変換が起こっているのである。

技術的モデルとして絵画に潜む現代性(モダニティー)を、そこに表象されたイメージ(イマージュ)からではなく、下塗りの復権、平面性、タッチの並列、連続的な階調というような技巧的観点から示すのであれば、下部に関する観点がどのようにして潜んでいるのかということを、作品から読み取らなければならない。絵画は本来その表面に現れる効果だけを目的としたはずだったが、必然的にその厚みの中にも重要な何かが潜むことになった。

III、象徴的モデル

絵画は世界を解釈するための鍵として機能する。その鍵は決して模倣的なものでも類似的なものでもなく、科学や言語と共通する象徴的なものである。したがって絵画には、ディスコースと同様であるにせよ異なるにせよ、文化的使命が課せられている。二十世紀になって抽象表現や構造主義が台頭することで、絵画はディスコースとの関連において解読されるようになり、その進歩はあたかも民俗学的な変化の原理であるかのようにとらえられ、その解釈は考古学的な、あるいは認識論的な様相さえ帯びている。絵画は質疑の場において、数学と同様に、象徴的なレヴェルで主張されるようになった。そこでは美術や数学といったジャンルが消滅し、一体となった解読のあり方が主張されるのだが、それが種々の作品を象徴的モデルとして再解釈させることになる。象徴的モデルにおいては、ディスコースとの関連で作品を読み解く規範が示される。

その一例としてとしてあげられるのが、ジョルジュ・バタイユ(Georges Bataille、1897 - 1962)が、「哲学が与えた数学的外套を剥ぎ取った」と形容するアンフォルメル(informel)である。アンフォルメルは、そのひとつの作用として、分類という規制を解除し混乱を導き出す。アンフォルメルは常に形状や方向を変えながら、視覚中心主義への侵犯を繰り返し、その作用はモデル上では背景の混乱として提示される。キャンヴァスの垂直面と床の水平面への投影の関係が見直され、既存のフォームの観念は打ち砕かれることになる。関係の見直しによって、両者はもはや中立な立場として、それぞれが関係なく、互いが単なる背景として機能することはできなくなるが、その一方で、それらは事物の映像(思考)の本質的な要因へと変化し、絵画の主題を構成するようになる。

この解読はユベール・ダミッシュが、デュビュッフェの作品にヒントを得て、完成させたものである。デュビュッフェの作品は、視線を絵画表面を真上から見た地面のように据え付けさせ、同時に、壁に直立される絵画の地が、線や陰影による人間の介入を想起させるという、二重の願望を含んでいる。現代絵画の単なる一側面から提起されたその垂直と水平の混乱は、その重要性が未だ推量されるにも至らなかった時代において、光学的な批評の本質的転換を予見する出来事だった。ダミッシュはすでに1962年に、この概念をデュビュッフェの絵画を解析するために用いていたが、それは約10年後、レオ・スタインバーグがラウシェンバーグの絵画面(picture plane)を解説するために提示したフラットベッドを予感させる。象徴的モデルにおいては、すべての西洋美学がそれまで基本としてきた分類が崩壊する。その崩壊を通じてキュビズムからミニマリズムまで、1920年代から50年代、そして60年代の抽象画に至るまでの、すべてのモダンアートの高次の部分が探求されることになると考えられる。

ポロックの作品の背景は、彼の活動の場そのものでもあり、常にあらゆる側面からの攻撃にさらされている。背景は迷うことなく彼によって突き通されるのだが、それは同時に、常に物質的な抵抗を示してもいる。ポロックの作品では、とりわけ表現とアクションとの間に巻き起こる対概念が転倒しているが、そのような象徴的モデルの特質は、例えばサウル・スタインバーグ(Saul Steinberg、1914 - 1999)のドローイングテーブルや、モンドリアンの作品の中にも発見することができる。

(*)フラットベッドは、異なる素材が混合され併置される絵画平面のことで、ロバート・ラウシェンバーグ(Robert Rauschenberg、1925 - 2008)の一連の作品がその代表作。自然から文化への変貌という芸術の主題における根底的な変化に対応する異種混交的な絵画平面であり、モダニズムの絵画にはない文化的表象や工業製品等が描かれる。フラットベッドはモダニズムの絵画平面から発達したものではなく、観者の視点へと向かう方向性も廃棄されているが、それがモダニズムの非連続的性質を示唆している。

参考文献
Painting as Model: Yve-Alain Bois, John Shepley (Trans.), October 37 (Summer 1986)
反美学 - ポストモダンの諸相:ハル・フォスター(編)、室井尚・吉岡洋(訳)、勁草書房、1987

Hubert DamischLeo SteinbergYve-Alain BoisClement GreenbergMichael Friedサルトルバタイユ

Fred Orton、ジャスパー・ジョーンズの絵画

概念芸術として、またポップアートとして、ジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns、1930 -)の絵画は、さまざまな解釈を通じて論じられてきた。美術史家Fred Ortonは、ジョーンズの絵画に見られるアレゴリー的性格に着目つつ、そこに脱構築を応用することで、ポストモダン期に試された寓意的解釈からの脱却を試みている。

ジョーンズの絵画を、装飾性の高さ、イリュージョン的な表情、平面性への依存といった側面から考察し、自己充足的なモダニスト作品としてそれをとりあげる論文は少なくない。一方Ortonは、そこに見られる表面と主題との拮抗に着目し、それを無視してジョーンズの絵画を単にモダニスト的な作品として片付けてしまう論調を退ける。説話的であると同時にインデキシカルなものとして、また主題の問題であると同時に装飾的な表面の問題として、両義的に解釈され得るジョーンズの絵画を、表現と意味との問題だけに限定して解釈しようとする試みには、自ずから限界が生じてくる。ジョーンズの絵画の読み手には、両者の複雑な関係を構築し、両者を同時に解析するという使命が課せられている。

以下はOrtonの論文と書籍を翻訳、再構成し、簡単にその理論の概要をまとめたものである。

ジョーンズの絵画はパーツに分かれていて、それが全体として作用するように構成されているが、同時にその全体は部分としても作用する。そのような作品の特長を隠喩(metaphor)と換喩(metonymy)との関係に置き換えて考察する。ジョーンズの絵画の表面を、意味があまり明確でない場合も含め、隠喩か、あるいは隠喩的表現であるとして読み直す。

隠喩は日常生活の愚純な偶発事項から隔てられた思考や感覚の、想像力による惹起を示唆するが、詩において比喩が隠喩へと向かって行くのに似たことが、モダニスト芸術においても起こっている。モダニスト的な絵画においては、表面と主題、部分と全体、そして公私に渡る意味というような、二律背反する関係性を読み取ることが重要になる。したがって、解読に際しては作品に対して美的に反応すると同時に、修辞的にも理解する作業が必要だが、加えて、絵画表面に感覚的に魅了されながらも、同時に懐疑的でもあるという態度が要求される。

隠喩的変異が随所に見渡せるジョーンズの絵画は、比喩の機能を統括する、拡張された比喩によって構成される作品として、再考する必要がある。そこで作品をアレゴリーだとして見るのだが、伝統的解釈との混同を避けるため、アレゴリーをイコノグラフィー、エニグマ、認識、誤認識、あるいは隠喩に相当するそれとは区別することが重要になる。そのような前提においてジョーンズの絵画を、ロマン派的シンボルとして受容されたモダニズムとの関係におけるアレゴリーとして解読する。シンボルとアレゴリーは背反する概念だが、シンボルを支える美学的イデオロギーは、アレゴリーを担う絵画の物質性によって中断される。いかなる方法でその価値を保とうとしても、シンボルとしてのイリュージョンは、アレゴリーとしての物質の存在によって解決される。

そのような解読は、ジョーンズをポストモダン的寓意作品として解釈してゆく試みとも一線を画している。一般にポストモダンアレゴリーと呼ばれる一連の批評は、ジョーンズの作品を読み込むには不十分であるようだ。

ポストモダンアレゴリーにおける解釈では、抽象表現主義絵画のようなモダニストアートを、自立的かつ自己充足的で、超越したシンボリックな作品であると前提し、それとの比較において、ポストモダンアートを、他律的かつ偶発的で、非超越的なアレゴリー的作品として対置する。そのようにしてシンボルとアレゴリーの特長から両者を比較して作品を判断するという方向性に問題はない。だがそのような方法では、ポストモダニズムを単一の首尾一貫したアレゴリー的衝動であると総括しながらも、最初からモダニズムを同様の傾向を持つ動きであると規定していることになる。アレゴリーがそれぞれの作品の構造的可能性であるとするならば、モダニズムとポストモダニズムは相反するものではなくなり、寓話への抑圧を、理論上での行いだけに限定してしまう。ポストモダンアレゴリー、つまりポストモダニストアートを認証し、それを価値あるものだと評価する言説が、すべての視覚芸術は比喩化、意匠化されたものとして理解されなければならないということを知りつつ、優位性を保とうとするような判断を下していることになる。

モダニスト、ポストモダニストアートは共に、そうではないかのように振舞いながら、実際にはそれらをシンボルであると思わせて、意識的に比喩化、意匠化しようとする。また、後者においては、それがアレゴリーとして影響を与えるのだという意志を鑑賞者に気付かせるようにして、意識的な比喩化、意匠化が行われる。シンボルもアレゴリーも、比喩化、意匠化され言語に影響されているので、アレゴリーなくしては、表象も、視覚的なあるいは説話的な言語も存在しない。そこでモダニストとポストモダニストアートの差異は消滅するのだが、問題はそのことを知りながら、批評がそれを行使しているという事実である。そのような状況は、十八世紀末から十九世紀初頭に起こった、寓意に相反する象徴の相対価値についてのロマン派的な議論を、寓意を優越的なものに反転させて、繰り返したものにしか過ぎない。

作品の材質的な存在と、鑑賞者がそれを受容する際の意識のかたちの変化に対して、未だポストモダニズムの段階では、最終的な突破がなされなかったと考えられる。そこで脱構築が、ジョーンズのアレゴリー的な絵画の解釈に登場する。

美術作品と哲学との関係において、現在の作品に多くの影響を与え続ける思想のひとつがジャック・デリダ(Jacques Derrida、1930 - 2004)が提案した脱構築(デコンストラクション)である。脱構築では作品をテキストとして再考することで、密かな転覆が試みられる。脱構築のプロセスにおいて、テキストの内部で形而上学として機能している概念やニ項対立が明確化され、それによって多くの場合、暗黙のうちに確立されているヒエラルキーが転倒する。脱構築における転倒とは反論や反駁ではなく、その実践を単に決定不能性(undecidable)として明記するということであり、脱構築における差異の論証と延期(deferral)による効果を、それを明記することで、単に説明する行為にしかすぎない。脱構築の対象となる二項対立としては、内部と外部、存在と不在、シニフィアンとシニフィエ、真と偽、善と悪、話し言葉と書き言葉等が例示されるが、それを美術、あるいは絵画に応用するならば、図と地、線と面、触覚と視覚、形状と内容、表面と主題、そして隠喩(metaphor)と換喩(metonymy)等が割り当てられることになる。

ジョーンズの作品は、抽象表現主義というモダニズムに占拠された隠喩を退け、代わりに換喩的な表象作用を用いて、モダニズムの優位性を揺るがせる。自己充足型の抽象表現主義は、形而上学的には超越的またはカント的な意味で先験的な作品であり、それらは常にシニフィエ、つまり自我の指示対象にまとわり付かれている。その一方で、他の作品の痕跡や比喩として、それらとの関係やネットワークによって成り立つジョーンズの絵画では、抽象表現主義に見られる全体性や完全性が欠落した中で、記憶や願望を表象する換喩が、留まることなく差異化の動きとして機能している。ジョーンズの絵画の本質は、脱構築に特有な捉えどころのない不安定さと欠如(lack)であり、そこではシニフィエを求めるシニフィアンとの関係が、個々の対象や実践の中で終わることなく繰り返されている。そのようにヒンジとして、同時期に多く見られた他のアーティストの作品とともにジョーンズの一連の作品も、ドグマと化したモダニズム絵画の意義の形骸化に寄与している。

参考文献
On Being Bent "Blue" (Second State): An Introduntion to Jacques Derrida / A Footnote on Jasper Johns: Fred Orton, The Oxford Art Journal, 12:1 1989
Figuring Jasper Johns: Fred Orton, Reaction Books, 1994

デリダFiguring Jasper Johns

ヴォリンガー、抽象と感情移入

ウィルヘルム・ヴォリンガー(Wilhelm Worringer、1881-1965)の「抽象と感情移入」は、それが出版された1908年前後のドイツ表現主義や、当時の西洋社会に認知されはじめた未開芸術の新たな解釈を試みた芸術論である。本論は二十世紀のモダニズム芸術が本格的に動き始めた頃、その将来が先鋭的な芸術運動として嘱望されていた時代の論説として、抽象的表現の動機としての恐怖感や抑圧のモデルを通じ、具象、抽象を問わず、新たな作品とそれから派生してゆく作品のひとつの真理を暗示する。以下はその名をヴォリンゲルと記す古い和訳から、いくつかの部分を参照し簡単にまとめたものである。ここではクオテーションは省略する。

ヴォリンガーは芸術の歴史をギリシャ、ローマからルネサンスへと進む西欧の伝統、外界の科学的な観察によって統合される芸術的技能の歴史としてではなく、美的享受を客観化された自己享受だと規定するアロイス・リーグル(Alois Riegl、1858 - 1905)が指摘する、芸術意欲の歴史としてとらえ直そうとした。未開のものとして退けられてきたアフリカやアジアの作品が、多大な影響を及ぼすようになった今、もはや感情移入(Empathy)という主観的方法だけで、芸術を説明するには無理がある。

20世紀初頭のヨーロッパは不安と不確実性が支配する時代だった。そのような環境にも影響されながら、芸術家は人間の予期不能な状態から抽象的な対象を探求し、それを絶対的な超越した形態へと変化させるという試みを重ねていた。フランスではフォーヴィスムが、ドイツではブリュッケが生まれ、ヨーロッパの芸術はその拠り所を、野性的で抽象的な未開の芸術に求めるようになる。

ヴォリンガーはそのような同時代の芸術を読み取る指標として、各時代における形態への意欲が、不安や恐怖をかきたてる人間を取り巻く世界にどのように反映するのかを、リーグルの芸術意欲に加え、基礎的な心理学にも頼りながら考察する。結果的にこの考察は、芸術を絶えざる不安を克服するための方法であると規定しつつ、恒久的な美学的形態を創造し、矯正することで達成される衝動を、抽象衝動として提起させることになる。感情移入の要求が常に有機的なものへと向かうのとは逆に、芸術は自然からは独立したものなので、抽象衝動では無機的な形態へと進行する。

抽象衝動を起こさせる心理的な前提は、諸民族が有する世界感情の内部にあり、それは彼らの宇宙に対する心理的な態度によく反映されている。諸民族とは原始民族に始まり、それから多少の進化を遂げた東方民族を意味しているが、一方、文化的段階にあるとされる、ギリシャに始まる西洋民族においては、すでに抽象的な衝動は克服されており、西洋民族は感情移入衝動によって支配されている。感情移入衝動で説明される高次の文化的段階における人間は、外界の現象と親和関係にあり、汎神論的で親和的な宗教観を持つ状態にある。反対に、抽象衝動で説明される原初的な文化的段階では、人間は未だに外界の現象に脅かされており、それがもとで内的不安が惹起されているような状態にあり、宗教的には超越的な強い観念に支配されている。

抽象衝動が起きるような状態とは、ある種の異常な精神的な空間的恐怖にさいなまれた状態で、そこで生まれる不安の感情が芸術的創造の源泉となる。人間は外界の現象相互間の関係を観察するとき、その不明瞭な状態や恣意性、あるいは現象の変化に富んだ状態だけを感知する。そして、そのような不明瞭で理解不能なものを取り除き、そこに必然性と合法則性の価値を見つけ出そうとするのだが、それは自然の内部にそのような価値を求めようとする心理が働くからではなく、むしろそれとは反対に、外界の只中に放逐されることで途方に暮れ、精神的な無力に陥るからである。自己の精神的な認識力によって外界の現象と親しくなり、それと親和関係を結ぶような機会が少なければ少ないほど、最高の抽象美が一層強く求められるようになる。

原始的な思考との因果関係によって引き起こされる抽象衝動が生み出す芸術を、最も純粋で合法則的な芸術だとヴォリンガーは規定するが、それは無機的な芸術として現れる。感情移入の要求は常に有機的な形態へと向かうが、反対に抽象衝動によるそれは、無機的な形態へと進行する。純粋な抽象は自然の原型には依存しない。自然を原型とする芸術的再現を強要するのは、模倣への願望である。抽象衝動は古代の文化民族の芸術意欲の基礎として、外界に存在する個々の表象を、他の様々な物との結合関係や依存関係から解き放ち、生成の過程から離脱させて絶対化する。

それら二つの衝動は、享受や自我という観点から見ても、互いに相反するものである。感情移入衝動を基礎とする美的経験=美的享受とは、客観化された自己享受である。感情移入衝動を美的経験の出発点とすると、そこでは自己破棄の衝動が示されることになるので、自我はその美点や芸術作品が放つ幸福感を減殺するものとして、否定的にとらえられる。一方、抽象衝動を基礎とする美的経験においても自己の放棄が求められるのだが、それは個人的存在を否定するためにではなく、衝動の必然性を満たすために放棄される。その理由は、抽象衝動では対象を確固とした不動なものにすることで、人間存在一般における偶然的なもの、とりわけ一般的な有機的存在にあらわれる恣意的なものを放棄しようという衝動が強く働くからであり、その衝動は、生命そのものが美的享受の妨げであるとする思考へと行き着くからである。そこで芸術作品は、自己の生命を自我のみから得ることになり、自我との緊密な結合が図られる。

平面化

抽象衝動を引き受ける個々の芸術作品においては、作品の平面化が最低限必要な条件になる。ヴォリンガーは抽象衝動に興じる作品を、平面へと収束させているが、すでに古代の造形芸術においては、対象を質量的現象として、空間的にではなく、平面的に確立することに主眼が置かれていた。

芸術意欲の結果としてまずあらわれるのが、空間的描写の抑制による描写の平面化である。単一の形態を平面の中に再現する行為とは、完結した質量のある物体の三次元的性質の把握には相反する行為である。したがって、そのような状況で立体的空間を把握するには、それに連なる悟性や習慣の強い援助が必要になるが、結局そのような援助は客観性に主観性を呼び込むことで、純粋性を損なう結果を導いてしまう。

古代の文化民族はそのような状況を悟り、純粋性を保つために平面化を推し進めた。彫刻の場合においても、立体から煩わしい要素を取り除くことが第一の課題となり、立体でありながらも、そこに平面感を与えることが、芸術的形式を獲得した証であると考えられた。立体における煩わしい要素とは、不明瞭で変化の多い外界の事物に接する時に人間を支配する、困惑や不安の痕跡のことである。不安と不確実性は、あらゆる芸術的創作の出発点であり、また、抽象衝動を引き起こすための最後の想起である。

平面化を達成するためには、質量のある個体をできるだけ客観的に表現する作業が要求される。その作業を通じて、個体の質料や存在感を否定する空間の再現をでき得る限り回避する。空間においては諸々の個体が結合され、各個体の個別的な完結性が失われる。空間はモノに曖昧な時間的価値を与え、万有的な現象の中へとそれを引きずり込んで束縛する。

空間はモノの個別化を妨げるので、あらゆる抽象への努力においては、それを排除する必要がある。何かを描く場合には、空間を抑制するために、いかなる第三次的延長(奥行)を規制しなければならず、したがって描画は高さと幅への延長だけに制限される。奥行きを表現する手段としての線の省略や陰影による効果は、描写が平面へと向かうことで、それによる輪郭や陰影による対象の満足した表現が不可能になる。深さの関係をできるだけ平面の関係へと置き換えることによってのみ、質量的な個体の形象を維持することが可能になる。

平面化への取り組みから理解できるのは、自然の原型を質量ある個体として知覚するだけではなくそれを再現する、芸術意欲の真意である。純粋に視覚的な過程は、散漫だが確実な知覚要素の時間的継時と表現される。そして、その過程が示す知覚要素の複合体によって、表象の全体像が獲得される。完結した表象全体の再生産によってのみ、人間は自身だけでは知ることのできない、物質の絶対的な質量的個体性に最も近い代償物を見つけ出すことができるのである。

参考文献
抽象と感情移入 - 東洋芸術と西洋芸術:ヴォリンゲル、草薙正夫(訳)、岩波文庫、昭和28年

抽象と感情移入ヴォリンガーリーグルグリーンバーグ

リーグルの芸術意志とその展開

リーグル(Alois Riegl、1858 - 1905)が行った西洋芸術の研究は多岐にわたるが、彼の名を今に留める概念として比較的よくとりあげられるのが、「芸術意志」である。「芸術意志」は1903年に発表した「後期ローマの工芸」において導入された概念で、リーグルはその概念を通じて、従来その暗澹とした様相が強調されがちだった、後期ローマの芸術を再考した。「芸術意志」は、当時一定の影響力を示したゼンパー(Gottfried Semper、1803 - 1879)の「様式論」(1860)と比較される。芸術を単なる材料、技術、使用目的の統合だとして扱うゼンパーに対して、リーグルは中世の芸術の中に、古典古代の美術に近接する内的意志の存在を確認する。

「芸術意志」は、「一定の目的を意識した芸術想像の根底にある超個人的意志」として、「人間と感覚的に知覚しうる事物の現象との関係」を形成する。それは充足した人間と世界との関係に基づく全体的な意志や世界観の総括的な概念として、各時代に固有の芸術様式に反映される。それらは空間把握の差異として、触覚的な把握と視覚的な把握とに分類され、時代の変遷に応じて、前者から後者へ、観念的で主観的な把握へと進行する。古代エジプト民族に顕著な「触覚的、客観的な空間把握」は、後期ローマ時代に至り「視覚的、主観的な空間把握」へと変化する。

リーグルは「芸術意志」の中に多義性を発見し、二つの固有な対概念へと両者を分化するそのような流れに、一定の猶予を供与する。「芸術意志」は、各時代の芸術を客観的に支配する法則として作用するが、そこに加わる創造的意志が、無意味な形式化による模倣衝動を抑制する。そうした多義的な性質が、一方的な観念化への傾斜を妨げ、美術史を「精神の学的認識」への堕化という、ヘーゲル的な芸術の逸脱から救出する。

各時代を段階的に把握し対応する各概念を比較検討するリーグルの手法は、「芸術意志」、「触覚的」、「視覚的」という概念とともに、さまざまな場面で応用されている。「芸術意志」を、「人間と外界との間の幸福な親和関係に基づく感情移入衝動と、外界の現象によって引き起こされる人間の内的不安に根ざす抽象衝動」との二つに分け、原始民族や東方諸民族の芸術とともに、それらの影響下にある表現主義芸術を評価したヴォリンガー(Wilhelm Worringer、1881-1965)をはじめ、パノフスキー(Erwin Panofsky、1892 - 1968)や、ベンヤミン(Walter Benjamin、1892 - 1940)等の参照は、よく知られた例である。

パノフスキーはリーグルの歴史段階的な見方を継承し、遠近法を象徴(シンボル)形式として、その再考を試みた。象徴形式においては、各対象の精神的意味内容が「具体的感性的記号」と結合し、その記号の内面に同化するのだが、彼は遠近法を象徴形式に見立て、各時代における空間認識の流れを精神史の展開として評価した。主観から客観、精神的空間から数学的空間へと進む遠近法の変化を精神的内容の合理主義化の流れと見る一方、その裏側にある主観の存在に彼は着目する。

古代において空間は二次的なものとして物体の後方へと退き、単に非連続的かつ総体的に示されていたが、古典期からヘレニズム期へと進むに連れ、ようやくその隙間としての役割に目覚めるようになる。空間は中世に差し掛かると、暗示という消極的な役割から離れ、各対象を融合し統一するための構成要素となるべく、平面化を志すようになる。その目的はロマネスクにおいて完遂され、空間は物体と同等の地位を得ることで近代的遠近法への足がかりを掴み、14世紀にイタリアで始まるルネサンスにおいて、一応の完成を見る。精神的内容の段階的な合理化は、数学的法則性の確立として、ついに床面を座標軸へと変貌させるに至るのだが、その客観性は消失点を基準に設定されている。消失点が視点という主観に支配されたものである限り、その客観的な数学的法則性も主観へと回収されてゆく。

ベンヤミンは複製技術とその芸術への影響を考察する論文の中に、「芸術意志」の概念を取り入れている。とりわけ本論における歴史感覚や芸術受容のありかたに、その痕跡が見出される。本論においてベンヤミンは、各時代における人間の知覚形式の変容と、その歴史的諸条件による制約とを芸術の変化に対応させ、知覚を組織し生じさせる媒体にかかる制約の原因を、歴史の諸条件によるものであると断定する。彼は「芸術意志」の多義性にも着目し、それを芸術を凋落から復帰させる精神的原理として、時代の意図をその意志と折り重ねている。

複製技術の発達が芸術の礼拝的価値や一回性を剥奪する中で、その受容形態も必然的に変貌するが、ベンヤミンはそれを「触覚的」な受容として評価する。彼はオーラを失い大衆化する芸術の典型を、とりわけ映画のような大衆を動員する芸術の中に発見する。彼は、散漫な気晴らしとして、その受容に精神の集中が伴わないという事実に着目する。そのような「知覚の深刻な変化」が、芸術を時間の流れの中から思考の内部へと深く浸透させてゆく。彼はその一方で、時間的体験を伴わない「視覚的」な受容を、歴史の転換点における諸問題を考察するには不十分なものだと位置づける。

リーグルの「芸術意志」は、その「純粋可視性」を基礎とする自律性が、モダニズム擁護の形式主義であるとみなされることがある。その一方で、とりわけベンヤミン等も着目した「触覚的視覚」には特別な地位が与えられ、(ポスト)構造主義やポスト批評等の枠組みに抵触する概念として、概ね肯定的に受け止められている。

参考文献
美の変貌:当津武彦(編)、世界思想社、1988
Perspective as Symbolic Form: Erwin Panofsky, Zone Books, 1991
「象徴(シンボル)形式」としての遠近法:エルヴィン・パノフスキー、哲学書房、1993
複製技術時代の芸術:ヴァルター・ベンヤミン、佐々木基一(訳)、晶文社、1970

リーグルヴォリンガーパノフスキーベンヤミン

視覚中心主義とアンフォルメル

見るという行為は余りにも自然であるために、普段それを意識することはほとんどない。しかしわれわれの思想、行動から生活様式に至るまでのあらゆる事柄が顕現しにくいイデオロギーや何らかの思惑に絡め取られているように、見るという行為の内側にもさまざまな策略が隠されている。見るという行為を美術、あるいは美術論との関連で論じる場合に忘れてはならない思想のひとつが視覚中心主義である。視覚中心主義は、「logocentrism」にちなんで、「ocularcentrism」と、英語では綴られる。その特長は、見ることと知ることを同義的に解釈するという、その図式の中に見出すことができる。

見る=知るという図式は、多分に形式主義的なものである。それは事物を理解することで、観念を構築するという手順として、伝統的哲学の基盤を温存させる一因になってきた。事物の理解を促すためには、それへの人的価値の付与、人が知覚するに足る道筋の整備が不可欠になる。それを実現させるのが、事物にそれ自身の純粋な形態を獲得させ、それを可視化させる手続きであり、視覚中心主義は、その手続きを助けてきた。実際には、可視的な世界とは、純粋に形態的な秩序によって固定的な意味へと還元された世界に過ぎないのだが、視覚中心主義はそれにひねりを加えて、擬人化(anthropomorphic)とも呼べるような状況を作り出すことで、その基盤を支えてきた。

視覚中心主義の支配を打破するための試みとして、思想の内部に見え隠れする観念論を揺さぶるという意味において示された方法の中で、視覚に直結する部分からその揺さぶりを実行する概念の中核的な存在としてあげられるのが、ジョルジュ・バタイユ(Georges Bataille、1897 - 1962)によって考案されたアンフォルメル(Informel)である。

抽象的な不定形や無形を意味するアンフォルメルは本質的に無価値であり、それに付随する思考にも無意味さが付きまとう。だがバタイユはあえてその点に着目し、無意味だが能動的な意図を持つ抽象的形態概念を哲学に持ち込むことで、視覚に関する新たな概念を形成しようと試みた。アンフォルメルに決まった定義はなく、猥褻な語のように、ただ淡々と事物の分類やその永続的な発展の持続可能性に混乱を巻き起こす。とりわけアンフォルメルによく適合する芸術的な動きとしては、ダダやシュールレアリスムが示される。それらの内部でアンフォルメルは視覚的比喩としての役割を担い、作品を形成する重要な一要素としてその効果を発揮する。

当初アンフォルメルは、言語における既存の意味作用への反証として生み出されたが、やがて社会の諸制度や秩序に対する反対概念のような、固定的な形態(フォーム)への反証(アンチフォーム)へと成長する。アンフォルメルの抽象性は、単なる抽象表現とは大きく趣を異にするもので、事物の形態を相対的に補足し直し、分類による分別を妨げ、認識を不可能にする。アンフォルメルが示す、形態に対するあいまいな態度は、純粋な形態の視覚による獲得を妨げ、いかなる認識をもすり抜けさせてしまう。アンフォルメルという類似を拒否する形態は、かえって何かに似ているという錯覚を見る者に芽生えさせる。それが見る者から類似に頼る判定力を奪い去り、形態の機能を麻痺させる。

アンフォルメルは事物の形態に対して劇的な作用を及ぼすが、自身は常に抽象的な曖昧さの内側にあり続け、事物自体を完全に破壊することはない。破壊によって事物を無化するのではなく、作用を常に変化させることで、事物の特定の意味や方向性を奪い去るのがアンフォルメルの機能であり目的である。アンフォルメルが揺るがすのは事物そのものではなく、その背後に存在する諸制度や秩序、視覚中心主義や視覚の特権性である。アンフォルメルの機能は、見ることによって媒介される形式主義的世界の優位性や、視覚中心主義に支えられた観念を中核に置く哲学の本質に対し、抜本的な揺さぶりをかける。

視覚にはあらゆる意味での特権が与えられており、それは他の感覚、身体器官よりも高位に位置づけられてきた。その特権性にメスを入れ、視覚を諸感覚と同等の地位へと引き戻すのが、アンフォルメルの作用である。当初バタイユによって、形態なき孤立した言語運動のひとつとして発案されたアンフォルメルだが、時を経てその枠組みを越え、視覚概念から哲学へとアプローチするための脱構築ツールのひとつとして、各所で応用されている。

注)アンフォルメルはジョルジュ・バタイユによって発案され、彼が編纂する雑誌「ドキュマン(Documents)第七号」(1929年12月)に掲載された批評辞典(Critical Dictionary)の中で、初めて展開された概念だといわれている。視覚中心主義に関しては、「Downcast Eyes: Martin Jay, University of California Press, 1994」、概念として美術論に応用されるアンフォルメルに関しては、「Formless: A User's Guide: Rosalind E. Krauss, Yve-Alain Bois, MIT Press, 1997」を参照した。

バタイユRosalind E. KraussYve-Alain BoisFormless: A User's Guide

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